「メタバース」、最初は「あんなもの誰も使わないよ」と冷ややかな目でみていたのですが、最近は意外と関心をもって眺めています。社会的な弱者にとってもなかなか良さそうです。ただ、本人に似せたアバターを作るというのは何だか発想が逆行している様に思います。それじゃ意味ないでしょ。
作家の橘玲さんが著書「働き方2.0vs4.0」の中で、働き方1.0~5.0をこんな風に定義しています。(引用:働き方2.0vs4.0 不条理な会社人生から自由になれる 2019年 PHP研究所)
’●働き方1.0(年功序列・終身雇用の日本的雇用慣行) ●働き方2.0(成果主義に基づいたグローバルスタンダード) ●働き方3.0(プロジェクト単位でスペシャリストが離合集散するリリコンバレー型) ●働き方4.0(フリーエージェント(ギグエコノミー)) ●働き方5.0(機械がすべての仕事を行なうユートビア/ディストピア)’
今の日本は「働き方1.0」から「働き方2.0」への移行最中とされています。この本で定義されている「働き方5.0」まで行ってしまうと、もはや一部の超エリートや上層階級以外は「何もすることがない」ので、ただ国からベーシックインカムの様なお金の支給を受け、ひたすらにそれを消費するという役割に甘んじることになる様に私は思っています。幸せなのか、不幸なのか。
その一歩手前、「働き方4.0」というのは意外と早くに日本社会にも到来する、もしかすると既に始まっているのかも知れませんが、これ高齢者にとって悪いことじゃないなと思うのです。高齢者が苦しい顔をして不慣れな「現場仕事」を「誰かに監視されながら」するよりは、こちらの方が明るい未来がありそうです。
以前のエントリにも書きましたが高齢者が満足して、無理なく働くとは、①長時間労働ではないこと ②重い責任を負わないこと ③人から命令されずに働くこと なのだそうです。(出典:坂本貴志さん 「統計で考える働き方の未来-高齢者が働き続ける国へ」(ちくま新書))。
これ、「働き方4.0」の世界にとても合致した「理想」に思えるのです。仕事を選ぶことができて、それを自分のやり方でやることができる。正に願ったり、叶ったりです。
特別な「技術や経験」や「業務独占資格」が必要な仕事でも、誰でもできるバイト的なものでも、この枠組み(働き方4.0)に乗っかることで、年齢を気にすることなく高齢者が働くことができる。対面することなく、すべてが完結するビジネス。まぁ、高齢者にUber Eatsは無理ですけどね、時間が掛かり過ぎて料理が冷めてしまいます。
いずれにせよ、これで何らかの収入を得るためには「営業力」「信頼、信用」(実績)が必要になりますが、「働き方4.0」モデルでの仕事マッチングの場として「メタバース」、結構使えるかな、と思ったのです。別にメタバースじゃなくても、今ではネットでいろいろな「自己訴求」のやり方はありますけどね。メタバース、何となく楽しそうだし。