髭を剃るのに「使い捨てカミソリ」を使っています。「使い捨て」と言ってもケチなので、5回くらいは使います。昔は替刃式で、ずっしりとした重みがあるものを使って、キレイにつるつるになるくらい丁寧に剃っていたのですが、最近は「何となく剃った感がある」程度で、もう十分です。
それで、今使っている「使い捨てカミソリ」なのですが、一応名の知れたメーカーのものなので安心して買ったものの、これがとてつもなくダメな商品なのです。とにかく剃れない、どうやっても剃れない。長いヒゲ剃り人生において、こんなひどいカミソリには出会ったことはついぞありませんでした。
安さに釣られて、10ケ程が入っているものを買ってしまったのですが、これ、どうやって使い切ろうかと思案しています。本当に「使い捨て」にしようかな。使わずに捨ててしまうのはカミソリに申し訳ないし。
ネットのスラングで「無敵の人」というのがあって、「社会的に失うものがないので、何か重大なことをしでかすにも躊躇が無い人」のことを言うのだそうです。上手いことを言うものです。すると、老人というのはいろいろな局面において「無敵の人」なのかも知れません。
きっと、昔も今も何も変わらずに、世界はバカバカしいこと、腹が立つこと、気に食わない奴で溢れているのです。オジイサンになって、こういうことを感じると、まるで条件反射の様に「もう止めよう、別にそれで困る訳ではないし」などと思ってしまいます。
今は「思う」だけですが、いつか本当に「もういいや」と、その場からいきなり立ち去ってしまう日が来ても不思議ではない気がしています。だって「イヤなことを我慢した先にあるもの」など、何もないことが明らかなのですから。だったら、そんなものにからめとられることなく、安らかに、ニコニコしながら、暮らした方がいいに決まっています。
職場で、急に「やーめた」となるオジイサン、オバアサンがたまにいるのですが、以前は「大人気ない」「無責任」「いい加減」といった目で眺めていたのですが、最近はそういった人たちのことが、少し分かった様な気がしているのです。
きっと「もういいや」と思ったのでしょう。年寄りの「もういいや」は無敵ですからね。後先を考えず、自分の気持ちだけに正直に、スパっとその場から立ち去ってしまう。もはや、この様な人たちを責めまいと思うのです。長年ニンゲンをやってきたオジイサン、オバアサンに、そのくらいの自由があるのは当然の理と今は分かった気がします。
それにしても、若い頃は、いろいろなことによく我慢ができたものです。誰に何を言われても、どんな理不尽なことが起きても、「ひでーなぁ」とか言ってチューハイの一杯も飲めば、翌日はケロっとしていたのですから。本当は随分と長い間、じくじくと傷んだり、悩んだり、凹んだりしていたのかも知れませんが、今となっては、大して覚えてもいないのです。
「その先にあるものを信じている」から、若い頃というのは「真の無敵」だったのかも知れません。思えば、オジイサンの無敵なんか、周囲に戦うべき敵すらいない淋しいものなんですよね。荒野で月に向かって吠えるワンちゃんみたいなものです。
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広島焼き? モダン焼き?、正しい名称は分かりませんが、お好み焼きにヤキソバが入っているものに興味津々です。そうなんですよ、62歳(もうすぐ63歳)にもなって、食べたことがないのです。ググったら、歩いて30分くらいのところに「美味しい」と評価の高いお好み焼き屋さんを見つけました。
私の63歳の誕生日のお祝いは、そこでやってもらおうかな。オラ、ワクワクすっぞ。