家の近くの「売地」が、またしても半年以上も「買い手」が付いていない様子です。前に同様に「売地」だったところは、結局1年以上も「そのまま」で、夏には空地に雑草が生い茂っていたことを思い出しました。ここもあとしばらくしたら草が芽吹き、夏前にはうっそうとした繁みになってしまうことでしょう。
駅からも遠くないし、静かな環境だし、魅力的な土地だと思いますけどね。きっと「お高い」んでしょう。まぁ、世の中にはお金持ちや、お金が足りなくても「未来の時間」を持っている人が大勢いるので、いずれは立派な家が建つのです。
我家も何だかかんだで、築30年を過ぎました。よく「家の寿命は30年」などと言うので、そろそろ真剣にリフォームやら修繕を考えねばなりません。老後のリフォームに掛かるお金は、調査によれば平均で600万程度とのこと。どうせお金を掛けるならば、快適に過ごせる期間が長い方がいいに決まっています。今年はどこかに相談でもしてみようかな。
さて、若い頃の何ということのない所業の一つを、この年末年始に思い出しました。それは今から40数年も前のことです。高校時代の友人であるS君、K君と、車で初日の出を見に行くことになったことです。
東向きの海に行けば、海の向こうから太陽が昇るに違いないとして、天気予報も確かめず、「どこ」といった場所も定めずに、とにかく「東向きの海」を目指したのです。当時、ネットも何もない時代ですから、東向きの海と言えば、東京の子供達にとっては「九十九里浜」であり、車も「そちらの方向」を目指したのです。
確か、どこかの駅前で真夜中に待ち合わせて、S君の車に乗ってスタートした様な気がします。とにかく記憶が「あやふや」なのです。既に高校を卒業して、2年?程度経っていたので、お互いの近況らしきものを話しながら、暗い夜道を車は走り続けたと記憶しています。どこかコンビニやら、ファミレスみたいなところに立ち寄ったのかな。そもそも40年前に、そんなものあったのかな。
やがて、海岸に到着すると、まだ日の出にはほど遠い時間で、確か、海岸では流木やら漂着ゴミを燃やしていた別の一団がいた様な記憶があるのです。今、そんなことをやったら、警察やら消防やらがやって来て、大騒ぎになりますが、当時はその程度のことは「お構い無し」だったのです。まぁ、消火のための水なら、目の前に太平洋が広がっているしね。
それで、とにかく寒い中、水平線の向こうから登るご来光を待ったのですが、あいにく曇り空で「何となく色がついているような空」を見て?、私たちは引き上げたのです。それで、確かその後、ファミレスの様なところで、朝食を食べて、どこかで「解散」となったのです。この辺りの記憶は、キレイさっぱり失われているのです。もしかしたら、宇宙人にさらわれていたのかも知れませんし、ただ、眠かった様な気もします。
今思えば、冴えない男の子×3人が、大晦日の晩に、大した盛り上がりもせず、劇的な出来事も起きない真夜中のドライブをしただけのことなんですけどね。今年はふと、そのことを思い出したのです。もしかしたら、こうやって私がエントリに書いていることは、大きく真実とは違っているのかも知れませんし、場合によっては私の衰えた脳が垣間見せた「ツクリモノ」の記憶なのかも知れません。
今年はどこかで、この日のことをS君、K君に「ねぇ、覚えてる?」と訊いてみたいと思うのです。それが本当に起きたことであれば、3人の記憶の断片をつなぎ合わせることで、少しは「真相」が明らかになることでしょう。二人とも「何それ?」なんてことになったら、怖い話ですけれど。
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明日(1/6)は月曜日で、「燃えるゴミ」を持って玄関を出ます。休みボケで、うっかりゴミを持ったまま、駅に到着!なんてことにならない様にしなければ。また、いつも通りの1年が動き始めます。