昨日、休館日だったことをすっかり忘れて、夕方にスポーツクラブに出掛けてしまい、急遽、近所を散歩してみることにしました。花粉症が激化することが心配でしたが、気持ちのよい夕暮れどきだったので「まぁ、いいや」となったのです。
時間は17時少し前、今は外で遊ぶ子供もいないので、住宅街は静かに夕暮れどきを迎え、そして夜へと沈み始めていました。そんな中、家を目指して帰っていく人たちと大勢すれ違いました。まだ幼い子供を乗せた自転車のペダルを漕ぎ続けるお母さんたち、レジ袋を片手にトボトボと歩く若いスーツ姿、何だか不安そうな表情で歩く制服姿の高校生。
みんな家に帰っていきます。勿論、私だって、まもなく散歩を切り上げ、一路、家へと帰ります。途中、線路をまたぐ陸橋の上から、帰路につく人たちで混みあっているに違いない電車がスーッと駅へと滑り込んでいくのを眺めます。美しい光景、何十年も変わらない美しい光景。
現役の頃、長い長い年月、へとへとに疲れていたり、酔っぱらっていたり、心配に胸を痛めていたりしながら会社から帰ってきたことを思い出しました。35年間、年間200日働いたとして、実に7,000回もの帰り道があったのです。
家に帰って、家族と話をして、お風呂に入って、テレビをみたりして、眠る。そして、翌朝には昨日の死を忘れて、再生して起き上がるとまた会社に出掛けていく。みんな、大したものです。かつては、私もそんな人たちの一人であったことを誇らしく、また懐かしく思います。
今も仕事に出掛け、そして仕事が終われば帰ってきますが、何故かあの頃の様な「取り敢えず、今日も一日が終わりだよ」といった解放感、「これでいったんはリセットされる」といった虚無感が、私に訪れることはないのです。あれ、好きだったんですけどね。
「今の仕事、楽してるんじゃない?」などと言われそうですが、そういうことではありません。あれは、いつ終わるとも知れず繰り返される日々の中で与えられた「ご褒美」の一瞬だった様に思うのです。
季節は変わり、今は今でいろいろな発見に満ちた日々が続いているのですが、以前とは違って、毎日が終わりもしなければ始まりもしない、妙な時間を過ごしている様な気分になることがあります。それはとても幸せなことなんですけどね。
数日前からミステリ小説の「書評」を集めた本を読んでいます。かつて、帰りの電車やバスの中で読んだ作品に触れている部分もあって、「あれはそういうことだったのね」と今更に思ったりしています。
そうか、ミステリ小説をほとんど読まなくなったのは、あの「長く混みあった帰り道」が無くなったせいだったのか。「長く混みあった帰り道」はもうお腹いっぱいですが、ミステリ小説はまた読み始めたいと思っているのです。特に古めかしい海外ミステリの翻訳本が。