不得手なこと、自分ではできないことが新しい技術を使ってどんどん「克服」?できる様になってきました。スマホさえあれば何でもできてしまいます。翻訳アプリを使えば、外国語を知らなくても相手と会話もできるし、五線譜が読めなくても簡単に作曲ができてしまう。
これって恩恵にあずかって、「克服後」から何でもチャレンジしていけばいいのですから、時間があるのかないのか分からない中高年にとっては、若い人以上に「よい時代」になった訳です。
そうすると、何かしたいことがあって、それを実現するにはどうすればよいかという組み立てが随分と変わってきます。今まではスキルを身に着けるために「時間」が必要で、それなりのことができる(1000時間、3h/dで約1年)、プロとしてお金を稼げる(1万時間の法則、5h/dとしても約6年)なんてことが言われてきた訳です。
これじゃ、年寄りだけでなく、「面白そうだな」「やってみたいな」と思っても、多くの人はその先に進む気分になりません。それに、何だか「難しいことがエライ」みたいな意地悪な世界が広がっていそうですし。勿論、「修行」やら「辛抱」が、そのスキルの中核的な価値を成す様なものもありますが。
目的を達成するために有用な手段を見つけ出す能力、その手段を使いこなす能力、それを実践で試す勇気… きっと、これからはこういったものが自己実現のために、生き残るために必要になるんでしょうね。
もう30年以上も前になりますが、はじめてDTM(Desk Top Music)というものに出会って、当時は今と比べ物にならない程に愛想の悪いシステムながら、最初に音源から音を出したとき、自分では弾くことのできない弦楽器をパソコンに滑らかに奏でさせたときの感動は一生モノだったりします。
私はただ「趣味」で遊んでいるだけですが、DTMにより「音楽を作るのに必要とされてきた制約」が解除されたことで、音楽を仕事にすることができた人も沢山いるのです。そして、そんな人たちが「思いもよらぬ新しい音」を世界に届けてくれます。
これからもこの「新しい技術による制約の解除」に基づき、新しい喜びや、新しい仕事を生み出していく人がどんどん出てくるのでしょう。いろいろと懸念することがあったとしても、総じて未来は明るいなぁ。
スマホアプリの「Google翻訳」を使って、実際に外国の人とスムーズなコミュニケーションが図れるのか、試してみたいと思うのですが、なかなかにそんな場面に出くわしません。どこかに困って途方に暮れている外国人いないかな。人の不幸につけこむとはヒドイ話ですが。