ここしばらく「良くも悪くも」生活の真ん中あたりに横たわっていたものが終わってしまって、何だか今は「空っぽ感」がしています。一番近い感情は寂しいかも知れません。61歳にもなるおじいさんにしては「繊細」だったりします。これまでも、こんなことは数え切れない程に繰り返してきたと言うのに。
先ずはここ2年程、「しっかり治療しなくちゃ」と思っていた心房細動のアブレーション治療がつい先週終わってしまい、少し寂しい?のです。いろんなところで都合よく病気のことを「免罪符」として利用させてもらったこともあって、何だか「相棒」みたいな感じもしていたのです。
再発の可能性も少なからずあることから、「戻って来たよ」なんてヒラヒラと手を振って、またアイツは近付いてくるかも知れません。まぁ、うれしくはありませんが、「そのときはそのとき」です。静かに「困ったもんだね、お帰り」と迎えることにしましょう。
それから「仕事探し」です。先日のエントリでも書きましたが、有難いことにようやく仕事も見つかったので、これまで一緒に仕事を探してくれた仲間?たちとお別れです。別に誰かと個人的に仲良くなったなんてことはありませんが、いろんな人・事物が私と一緒に伴走してくれた様な気がするのです。
それはハロワであったり、高齢者向け就職支援団体であったり、シニア向けの求人サイトだったり、応募先企業で私に「お祈り」をしてくれた人たちだったりします。もうハロワに求職相談に行くこともないことを少し寂しく思うのです。
どちらも、本来であれば私の中に満ちていたハズの「心細さ」というものをよく忘れさせてくれました。どちらも私のことを適度に「構って」くれました。人は幾つになっても、誰かに「構って欲しい」ものですからね。
よく入院患者が「退院したくない」とか、退院後に「病院に戻りたい」なんて心理になると言いますが、それ、本当によく分かります。病気も、仕事探しも「自分が中心」にいて、みんなに構ってもらえるという幸せな?状態だったのかも知れません。
まぁ、幸運にも、治療も仕事探しも上手くいったからこその呑気な感想なんでしょうね。新しい仕事が始まる10/15までは、こんなふざけた、そして感傷的な時間を満喫することにします。
そうそう、「かぼす」に続いて、家の庭にある「レモン」も収穫を始めました。こちらは収穫なんて言うほどに沢山実っていないんですけどね。数えてみたところ、僅かに5つ。早速、最初の一つを切って、夕食の魚フライに絞ってみました。爽やかな酸味とよい香りがします。これ、飲み物に絞って入れても美味しいんですよね。