東京地方も少し「寒く」なってきました。愛猫が「窓の外をみたい」とせがむので、仕方なく部屋の窓を開けますが、数分もしない中に部屋の温度がぐっと下がってしまいます。きっと「悪い奴」「悪いネコ」が家の敷地内にいないか、見張っていてくれるのだと思うのです。有難いけれど、ほどほどにしておいてね。
さて、「60代の職探し」なんてキーワードでネット検索をかけると、本当に山ほど、沢山の情報に出会うことができます。きっとこの言葉で検索する人が多いので、それを見込んで、それらしきページや動画をあげている人も多いんでしょうね。
特に「今」は職探しをする必要がない私ですが、いつ何時、どんなことが起きるか分からないので、時折、そういった情報を眺めているのです。いろんな理由から、まだしばらくは「働く」ことが、自分や家族にとって好ましいので。
経済面を第一として、心身の健康維持(含:暇つぶし、認知症防止)のためにも「働く」ことは大事なのです。「労働」はいろいろな問題を解決してくれる唯一無二の「ソリューション」だと、私は思っているのです。
それで、「山ほどある情報」を眺めていると、一体どれだけ「真実」があるのかを考えてしまうことがあります。「真実」なんてものは本当は存在しない、というのが「真実」なんでしょうが、少なくとも「実際に体感したこと」を発信者は世界に伝えて欲しいのです。
恐らく、60代には程遠い「若い人たち」がいろんな情報を寄せ集めては「それらしい」内容のコンテンツをでっち上げては(失礼!)、大量にリリースしているのでしょうが、まったくもって「真実」がありません。もしかしたら、最近は生成AIがコンテンツを作っているのかも知れません。
「藁にもすがる」思いで「60代の職探し」の情報を探すものたちにとって、こういう不毛な情報は百害あって一利なしです。「高齢者でも楽に働ける仕事」だの「高齢者に人気の職種」だの「高齢者はこうやって仕事を見つけろ」だの「高齢者の職探しに役立つ資格」だの、よくもまぁ、体感をしたことがないことをツラツラと発信できるものです。感心してしまいます。
まぁ、こういうものを眺めて、藁に飛びついてしまうのは「60代のビギナー」だけで、こういうものを信じた結果、痛い目にあって、ようやく「真実」に辿り着くということになっているのです。60代の世界に入門するための「通過儀礼」なのかも知れませんが。どんな仕事でもガマンすればできるなんてことはないんですよ。できないものはできないし、イヤなものはイヤなんですから。
こういった「体感レス」の情報に一番欠けているのものは「当事者の心」なのです。ニンゲンなんて感情だけで生きている様なものですから、どんな思いで仕事を探しているか、どんな思いで仕事を選ぶか、どんな思いで仕事をするのか、どんなことで「辛く」なるのか、どんな思いが「仕事を辞めたい」につながるのか… こういう最も肝心な部分がつるっと欠落した情報には、「真実」はないのです。
それでは「真実」の情報というのは存在するのでしょうか。赤裸々に綴られた誰かの「体験記」といったものには、そのかけらが沈殿していそうですが、大抵の人は「そこ」を乗り越えて次の場所に移動していくことに必死なので、そこに至る経緯など、「そんなことあったかな」程度に忘れられてしまいます。特に思い出したくもないしね。
とにかく毎年毎年、大量の人たちが「60代の職探し」の扉をノックします。そして、一様に「上手いこと」をしようとして、「失敗をしない」様にと、ネットの怪しい記事や動画を「藁にもすがる」思いで探し回ることでしょう。だから、こういうコンテンツって、いつまでもたっても一定数の需要があるのです。
仮に、そのときに「真実」を知ることができたとしても、そのことで余りに意気消沈してしまい、身がすくんで動けなくなってしまってはどうしようもありません。とにかく、「体感」して初めて分かるのですよ、「60代の職探し」というものは。まぁ、何でもそうですけどね。
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以前にカラスが家の前に出しておいたゴミを散々突っついて、周囲にぶちまけてしまったので、その現場を見つけたときに、強く叱ったのです。ほうきで追い払う様なこともしました。そうしたら、先日、しっかりとそのリベンジをされてしまったのです。我家の玄関前に何やらゴミを咥えてきては、置いていくのです。
分かったよ、強く言い過ぎたよ。そろそろ手打ちにしてくれないかな。