強風の昨日から一転して、今日はとても穏やかな一日でした。用事があって月曜日は有給(休暇)を取るので、今日は実質的に4連休の2日目です。喧噪から遠く離れて、朝から「やれていなかったこと」をポツリポツリとやりました。それから買い忘れていたものをAmazonでポチったりもしました。こういうのが一番の幸せです。

「あの頃」というのは数え切れないくらい沢山あって、本当はすべてがまだ続いています。例え、当時は時間と空間と思いを共有していた人たちが目の前からいなくなってしまっても、それぞれに「その後」の物語は続いているのですから。

映画や小説、マンガなんかで時々「その後」の描写をする続編、エピローグみたいなものがあったりしますが、そういうの、私、好きなんですよね。やっとそれで完結するというか。

しばらく会っていなかった親戚、知人、友人とたまに会って、その人たちの話を聞くと、何だか「続編」を見ている様な気がしてニンマリしてしまいます。それで、興味がある部分を掘り下げて教えてもらいたくなります。

だから、こういう「続編」を知りたいのであれば、少ない人数で会うに限ります。何十人もが集う「同窓会」みたいなものには、今一つ腰が引けてしまいます。正直苦手なのです。それにもうほとんどの人の名前と顔が一致しませんし、そもそも名前すら思い出せなかったりもします。そんな他人ばかりの場所にポツンと置かれてもね。

「続編」を楽しむにはそれなりの「経過期間」が必要で、最低でも20年くらいは熟成させたいところです。そのくらいのインターバルが空くと、どんな人でもそれなりに大きな変化が起きている様な気がします。中には結構頻繁に会っている人もいるのですが、それはまだ「あの頃」が切れ目なく続いている様なものなので、「続編」を楽しむのとは別の楽しさがあったりします。だらだらと続く連載みたいなものです。

それで、私が誰かの「あの頃」の「続編」を聞きたいと思うには「時期」があって、これからだと相手も自分も70歳くらいになってからなのです。そう、恐らく多くはリタイアしていて、年金をもらいながら、どこにも属さず、誰とも組せず、大して忙しくもなくなった「知人」「友人」から、改めて「続編」を聞いてみたいのです。

どんな人でも「自分の首輪を自慢する」様なこの国にあって、それが外れた後で改めてしてくれる「続編」を聞きたいのです。でも、中にはいるんでしょうね、もう付いていない首輪を忘れられずに、その頃であっても、多くのことをそこに紐付けてうれしそうに話し続ける人が。まぁ、「続編」は人それぞれですからね。

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「自分へのご褒美」というのは、何だか気持ちが悪くてイヤだなぁと思っていたのですが、先週ばかりは「よく全部片づけたよ」と我ながら感心する程に頑張って働いたので、少しそんな気持ちになりました。それで、結局何を買ったのかと言えば、メルカリで中古のCDと本、計1,500円也です。おじいさんがしたことなんて、所詮その程度のものですからね。早く届かないかな。

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