気付けば庭の梨の花が、明日にも咲きそうです。今住む家を作ったとき、もう30年も前になりますが、近所のホームセンターで買ってきて、庭に植えたものです。途中、メインの幹を切られてしまうという不幸に見舞われたものの、そこから長い時間を掛けて大きくなって、今や高さが8mほどにまでなりました。

このブログでは何度も「梨の花は世界一美しい白」であることをエントリーに書いてきましたが、今年も間も間もなくその「白」を見ることができます。何とうれしいことでしょう。

さて、いろいろな未来予測を見たり、聞いたり、読んだりするに、どうやら未来は暗澹たるものらしく、幾つになっても「うかうか」していられないそうです。貯金して、更には投資でお金を増やして、体の動く限り働いて、そのために新しいスキルや知識や資格を身に付けて、そのためには健康でいることが前提なので、予防や検査を怠らない。

確かに、そんな完璧な人生を送るためには幾つになっても「うかうか」などしてはいられません。けれど、どうにも最近は「疲れ気味」なのです。仕事がやたらに立て込んでいるのが原因なんですけどね。忙しい方が幸せなどと思う一方で、「早く『うかうか』したいなぁ」などと思うこともしばしばなのです。日々、年を取っているんでしょうね。

それで、「うかうか」するってどういうことなんでしょう。朝はゆっくり8時頃に起きる(うかうかしていても、8:30のゴミ出すはする)。午前中は、本を読んだり、ネットで調べものをしたりして過ごす。お昼ごはんをカミさんと食べて、その後、だらだらと庭仕事をしたり、10km程度の長距離のウォーキングに出掛けたり、バスに乗って温泉施設に行ったりする。要は家にてカミさんの邪魔をしない様にする。

夕飯を食べて、配信で映画をみたり、本を読んだりして、眠くなったら寝てしまう。大事なのは「きちんと決めないこと」で、「今日はあれができなかった、これもできなかった」という敗北感を覚えない様にする。勿論、税金を納めたり、役所に行ったりと用事はあるものの、用事は一日に一件までに限定し、忙しくいろいろなことはしない。

ぷらぷら遊んでばかりいても退屈なので、近所で「軽責任・無残業・少会話・禁夜勤・短時間」みたいなバイトを見つけて、何となく働いている実感を味わう。肝心のお金は、年金とバイトと預貯金の切り崩しの合算で、贅沢はしないがカツカツでもない暮らしができれば十分とする。

そもそも「うかうか」しているので、「こうやったら税金が少し減らせる」とか、近所のお得情報みたいなものはまったく知らない。たまに友人・知人に会っても、みんなの関心事を聞いて、「へぇ、そうなんだ」といたく感心する。「お前、呑気だなぁ」と半ば呆れられる。こんな感じでしょうか。

これまでの人生において十分な準備や支度ができていなくても、「うかうか」してもよいものでしょうか。それじゃ、結局、ずっと「うかうか」していただけですよね、きっと。

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ポストに「永代供養墓」のチラシが入っていました。少し前までは「まだまだ先の話だよ」なんて言っては、丸めてゴミ箱にポイでしたが、今日はじっくりと読んでしまいました。「死んだらそれっきり」主義者の私ではありますが、残された人たちが「私であったもの」の扱いに困らない様にはしておきたいと最近は強く思うのです。今度、電話してシステムを聞いてみようかな。

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