どうしても昔ながらのナポリタンが食べたくなったので、自分でトライすることにしました。とは言っても、スーパーで「ナポリタンソース」なるものを買ってきて、茹でた麺をフライパンで炒めるだけなんですけどね。

結果、ううむ、ちょっと違うんですよね。何というか、もっと深みのない味が食べたかったのです。今度はトマトケチャップだけでやってみます。それにベチャベチャしていては駄目なんですよ。麺に少し焦げ目が付くぐらいでパサパサしていなくちゃ。「昔ながら」というのは難しいなぁ。

さて、今の職場には定年がありません。扱いは「契約社員」なので、自分で辞めるか、会社が「次の契約は更新しないよ」というまでは70歳を過ぎても、75歳を過ぎても働くことができます。

大変に有難い職場なのですが、さすがに75歳になっても、満員電車で脳死しながら通勤するのは無理なので、私としては「70歳」を目途に第三の人生を考えようかなと思ってします。次のイメージは「近く」て、「気楽な」仕事だったりします。

完全リタイアという選択肢もありますが、きっと退屈して、「小人閑居して不善をなす」ということになるに違いありません。だから、時間を潰せて、お小遣いももらえるという仕事が第三の人生の狙い目なのです。

例えば、夜間のセルフガソリンスタンドの店員さんとか、市報やチラシのポスティングとか、メーター類の検針業務とか。やったことがないので分からないのですが、実際にはそんなに楽なものではなくて、「その仕事にはその仕事なりの難しさ、辛さ」があるのでしょうが、そんな仕事を探そうとする頃には、こちらの気持ちが大きく今と変わっている様に思うのです。

他人から見ると「ツマラナイ」仕事でも、本人からすると「楽しい、楽しい」ということもあるのが、最近やっと分かるようになりました。そもそも「ツマラナイ」と思っている仕事は長続きしませんからね。そんな風に思える仕事には、絶対に就いてはいけないのです。時間をムダにして、気持ちが荒むだけ。

それで、第一の人生でも、第二の人生でも選ばない、「ツマラナイ」と思っていた仕事が第三の人生では俄然楽しく思える、なんてことが起きるに違いないと、私は現時点での判断を保留しているのです。

人が「働く」というのは、とても複雑な心の在り方に根差している様に思います。報酬、承認欲求、やりがい、使命感、達成感…こんな感情が絡み合って、その人なりの「仕事への取り組み方」が醸成される。だから、年齢によったり、生活の環境によったりして、「仕事観」みたいなものは常に変わっていくのではないでしょうか。

だから、私が70歳になった頃、私はどんな仕事をしたいのか、それを今から決めつけることはできないし、そんなものに縛られる必要はないのです。とは言っても、その頃では「近い」「気楽」はきっと譲れない条件である様に思いますけれど。

まぁ、せっかく資格を持っていることだし「乙種第四類危険物取扱者」(乙四)を活かしてみたいという変な欲求があるので、「セルフガソリンスタンドの店員さん」というのは、今の時点では第三の人生における「憧れの仕事」だったりします。あくまでも「今」はね。

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世界で最も柔道の競技人口が多いのはブラジルで、次がフランスなのだそうです。日本はどうやら3番目。それを考えるとオリンピックで「日本人選手が負ける」というのは珍しいことでも何でもないんですよね。

それどころか、日本発の格闘技がこんなにも世界に広まったことを誇らしく思うべきかも知れません。こうやって、連日柔道の試合を見ていると、この競技の面白さにぐいぐいと引きこまれます。ただ勝つことが目的ではなく、自分の柔道を貫いて勝つ、そんな清々しさを選手たちから感じるのです。どの国の人でもいいや、みんな頑張ってね。

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