うちの愛猫、とても呑気に育ってしまったので、私とカミさんが余程イヤなこと(爪切りとか)をしない限り、「怒る」とか「威嚇する」なんてしないのです。昨日の午前中だって、庭の家庭菜園を近所のネコが掘り返しているのを、目の前の網戸の内側にいて、ただ「見ている」だけ。慌てて私が玄関から飛び出して「どっか行け!」と追い払うことになりました。頼むよ、自宅警備は任せてあるんだから。しかも、大事な友達なのに…と少し不満げな様子。
さて、仕事が休みの日、朝起きてゴミ出しに行くだけで幸せな気分になります。一日はまだ生まれたばかりで、すべてのよきものが空間に満ち溢れています。こんな幸せを捨ておいて働くのは、とても「勿体ない」「何と馬鹿げたこと」と思ってしまいます。シンプルにいきましょう。
「難しいことはスゴイこと」「忙しいことはエライこと」みたいな価値観で、長い間生きてきた様に思います。それから「何かを得るためには苦労が必要」とかね。今思えば何と馬鹿げたドグマに頭をやられていたんだろうと呆れてしまいます。
結局、楽して、笑いながら、自分が欲しいものを手に入れることができれば、それに越したことはない訳で、本来は「その方法」を突き詰めるのが大事だった様に思うのです。以前のエントリでも書いたことがありますが「苦労してでも楽をする」主義です。
それで、「何かの見返りに我慢すること」はもう、これから先はやめたいなぁと近頃、よく考えるのです。余程、路頭に迷うまで困窮する様な事態になれば、そんなこと言っていられないでしょうけれど。
(家族を除いては)今の私にとって一番大事なのは「時間」で、これは多少の「お金」には代えられません。これ、よく言われることですけれど、本当に「自分事」として、身に染みて感じる様になりました。よかった、遅ればせながらも「自分事」にすることができて。
これ、ここに至るまで、それなりにいろんな目に遭ったり、いろんな思いをしたんですけどね。今となれば、「苦労してでも楽をする」の一部だったのだとヘラヘラしてしまうことにします。日本人の最たる特質である「忘れてしまう」というのは、本当に素晴らしいことだとつくづく感謝するのです。
それで、大切な「時間」を手に入れたとして、一体、何をするのか?ですが、あとしばらくすると訪れる「無職生活」でワクワクしながら、シンプルに、ひとすらシンプルに考えたいと思っています。そう、シンプルに「自分がしたいことファースト」で。ちなみに「無職」になるのは生まれて初めて。
そして、とにかく、せっかちに「おいしそうな話」「うまい話」には乗らない。そんなものの先に待っているのは、間違いなく「様々な種類の地獄」なのですから。
昨日は近所にあるホームセンターに「エダマメ」と「トウモロコシ」の種を買いにいきました。昼食を食べながら、家庭菜園でこれから収穫を予定する野菜のことをカミさんに話したところ、「何だか『葉っぱ』ばかりなのね」とダメ出しをされたのです。確かに。
エダマメもトウロモロコシも種蒔きには少しタイミングが遅くなってしまいましたが、明日からの連休で「種蒔きじいさん」をすることにします。大事なのは、発芽後に苗の間に十分な間隔が空くようにすること。植物は天才なので、これだけを人間が注意してあげれば、立派な実りをもたらせてくれるのです。とてもシンプルなこと。とは言っても、エダマメは摘心をしたり、トウモロコシは雄花を雌花(ヒゲ)に受粉させたり、多少は私もサポートするんですけどね。