今日は10時前に病院に行って、装着していたホルターを外してもらいました。流石に何回もこの検査を受けているので、今ではホルターを付けていても気になることはなく、フツーに暮らせるのですが、やはり余計なものが「付いていない」というのはウレシイものです。それにお風呂も入れるしね。
病院からの帰り道に大きなドラッグストアに立ち寄って、風邪薬を買ったのですが、今は市販薬一つを買うのも、とても「面倒くさい」のです。レジのアルバイトさんみたいな人が「ちょっと待って下さいね」と言って、店内に放送を入れ、誰かを呼んだのですが、誰もレジにはやってきません。
3分程も待たされて、ようやく「忙しいのにぃ…」といったふくれっ面をした人がやって来て、私が選んだ薬を手にして「これ、用量・用法をきちんと守って飲んで下さいね」と愛想もなく言い放って「オシマイ」となり、ようやく買うことができました。3分待たされて、5秒かよ。
いつからこんなことになっているんですかね。しばらく市販薬を買っていなかったので、分からなかったのですが、今は薬を買うのに、こんな面倒くさくて、無意味な儀式が必要になっていたとは。
こういう、どこかの誰かが、自分の仕事を新しく作った末に、末端にただただ面倒なことを強いるというのは、どんな組織であっても「末期的」な状態だと思うんですよ。これを「国」レベルでやっているのが、最近の流行の様子です。
これ、こういうオーダーが上から降りて来る途中で、現場では「リスク回避」(責任逃れ)の仕組みがどんどん追加されるのですから、この国で行われている「ムダ」の総量を考えると頭がクラクラしてしまいます。そして、いつか、何を買っても、何をするにしても、こういう「許諾」「説明」みたいなものが必要になる様な嫌な未来が見えます。
スーパーでリンゴを買おうとレジに並ぶ→レジのパートさんが誰かを呼ぶ→随分と時間が掛かって店の奥から不機嫌な人が出て来る→レジで「リンゴ取扱の注意」なるパウチされたものを手にして「リンゴを食する際のリスクをすべて理解していますか、酸っぱいかも知れませんよ、硬くて歯茎から血が出るかも知れませんよ、夫婦喧嘩の時に奥さんに投げつけれて怪我をするかも知れませんよ。それを理解した上で買いますか」と説明される→「分かったよ」とこちらが承諾の意を示す→やっと購入できる。
本当に「面倒くさい」ことが最近は多過ぎます。「自己責任」の範囲を売る方も、買う方も、常識(コモンセンス)として共有する、これこそが「成熟した社会、文化」と思うんですけどね。ところが、最近は主に買う方にこれが理解できずに、「大丈夫ですか?」みたい人たちが多過ぎる気がします。
それで、「最初に注意されなかったから、こんなことになった」って訴えられたりする。こんなことが多発していたら、そりゃお上だって、変な規制を作ってしまうかも知れません。それで、結局は誰のためにもならずに「面倒くさい」が社会に増大していく。困ったものです。
ちなみに実際の店舗で薬を買うのがこんなに大変である一方、ネットで薬を購入しようとすると「もっともっと」面倒くさいのです。私は購入手続きの途中で、説明を読んで、許諾する作業に耐え切れずにネットでの購入を断念しましたからね。途中で何度も「あなたはこう回答したけれど、実際に売ってあげるかはこちらで判断するんだからね」などというツンデレ的なメッセージが表示されて、心が折れました。
魔法が使えたら、迷わずに「面倒くさいことがない世界になーれ」って呪文を唱えちゃいそうです。
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数日前、会社にいるときにスマホをどこかに置き忘れてしまって、肝を冷やしました。席の周囲にあるだろうと、オフィスの電話から呼び出しても、どこからも音がしません。ランチを食べに行ったときは、帰ってきた後でメールを確認した記憶があるので、会社の外ではありません。
それで、私が行ったところを順に巡っていくことにしたのですが、いきなり最初に探しにいったところで発見することができました。トイレの手洗いカウンターです。水が掛からないような端の方で、ひっそりと私を待っていてくれました。
こういう奇跡みたいなことが何度も続く訳はないので、スマホをなくさない様に何か根本的な対策を取りたいところですが、「なくしたものを発見できるタグを付ける」みたいなツールって、スマホを使って探すというものばかりなのです。だから、肝心のスマホ自体は救えません。ううむ、やっぱり首からストラップでぶら下げるしかないのかなぁ。肩が凝りそうです。