思えばすべてのことが「突然」に終わって、やがて、「突然」に次のことが始まる。事の大小はあるにせよ、そんなことを無数に繰り返しながら、私たちの毎日はまるで「おもちゃの兵隊の行進」の様に、静かに、けれど止まることなく過ぎていく。やがて、その行進も「突然」に終わり、それっきり。私は大いに「突然」に与するものです。いいじゃないですか、さっぱりして。

何かが終わった後に、何かを失った後に訪れるのが「喪失感」です。最近の若い人が言うところの「XXロス」です。大して深刻ではないクセに、俳優のXXさんが結婚した、アイドルグループのXXが解散したといったときに「XXロス」とか言って盛り上がる。妙な「楽しみ方」が発見されたものです。

私も過去に何度か辛い「喪失感」にさいなまれたことがあります。父母を失くしたとき、父の死後しばらくして私たち家族が長く住んだ家を取り壊したとき、そして、一緒に暮らした動物たちを失くしたとき… どれもしばらくの間は、心に「ぽっかり」と穴が開いた様な空しい思いが続きました。神さまが「忘れる」ことを人間に与えてくれて、本当によかった。

「辛さ」(つらさ)に順位付けなどできないのですが、中でも「家族が暮らした家」を取り壊したときは相当に「ガツン」と来たことを今でも憶えています。いざ業者さんが解体に入るという日の朝早く、家具をすべて運び出した後の家の中に入り、何十枚、否、百枚以上もデジカメで「家族がいた風景」を写真に収めました。それが、私が家にしてあげることができる最後のことの様に思ったのです。その割に何だか怖くて、撮影したまま、まだ一度も画像ファイルを開いたことがありません。きっと、まだ、「そのとき」にはなっていないのです。

辛い思いをしていても、「喪失感」を覚えている間って、何だか「まだ終わっていない」みたいで、きっと幸せな時間なのだと思うのです。そんな日々を時間が解決してくれて、やがて、あまり思い出すこともなくなってしまう。それはとても寂しいことなのです。何だか大事なものから、完全に切り離されてしまった様で。

転職したり、早期退職や定年退職をした後に「喪失感」を覚えることは「当たり前」に違いありません。何年も、何十年もの間、もしかしたら「家庭」以上に人生の大部分を過ごした場所なのですから。それにあなたや私が「喪失感」を覚えるのであれば、それは幸せな時間をそこで過ごしてきたという証拠です。会社/組織だって喜んでいますよ、退職した社員が「幸せな時間を過ごした」なんて思ってくれているとしたら。よい出会いでありました。


今、使っているキーホルダーは今から25年程も前に、私が初めて海外出張をしたときに、父にお土産として買ってきたものなのです。確か、分不相応にもニューヨークのデパートで購入したものでした。父はそれを使わずにいて、父の死後に形見分けをした際に再び私の手許に戻ってきたのです。そして、私が現役を退いたときに、これを使い始めたのです。昨日、改めてこのキーホルダーを見ていたら、いろいろなことを思い出したという訳です。

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