それが無くなったらニンゲンも終わりなのかも知れませんが、誰に対しても「いいところ」を見せるのを一切止めてしまおうと思っています。幾つになっても「ワタシはこういうことができます」ということを陰に陽にアピールすることがバカらしくなってきました。

敢えて自分が無能だと喧伝することはしないとしても、マウント合戦みたいなものにはとにかく「へぇ、そうなんですか」と受け流してしまう。そもそも、そういうことになりそうな場には行かない、渦中に巻き込まれたら「さっ」と身を引いてしまう。もう誰にも認めてもらわなくてもいいや、自分がどの様なものなのか、自分が分かっていれば十分です。

さて、月一で「シニア求人」を興味本位で眺めています。前回、同様のエントリを書いてから、早くも1ヶ月が過ぎたことに本当に驚いてしまいます。時間の経過を短く感じるというのは、その間が「楽しかった」証ですから、いいことなんでしょうけれど。

これまでは主に高齢者にあてがわれてきた「きつくて、安い」仕事における人手不足が、これから益々加速する様に思っています。理由は労働力の供給が激減しているからです。従前は60歳定年で、そのまま企業を去った多くの人たちが再就職先として、「きつくて、安い」仕事に就かざる得なかったのだと思います。

それが、「65歳までの雇用義務、70歳までの雇用努力義務」という雇用側の現状から、従業員の大多数(ほぼ全員)が「これまで慣れ親しんだところで最後まで働いて、その後は完全リタイア」というスタイルに移行する、もはや移行しているのではないでしょうか。

これは労使、双方にとってwin-winの関係なので、一時的なものではなく、これがフツーになっていくことでしょう。それでは「きつくて、安い」仕事は誰が担うのでしょうか。誰だって、やりたくはないですよね。みんなが面白おかしく暮らしていると言うのに自分だけ…

私はそのことを殊更に真剣に憂いている訳ではありませんが、安全で、清潔な社会を維持するためには「きつくて、安い」仕事は欠かせないのです。建物の清掃をする人がいなくなったら、どうします? 工事現場で安全確保のために立哨や案内をする人がいなくなったら、どうします? 介護施設で利用者の不自由をカバーしてくれる人がいなくなったら、どうします?

結構に私たちが当たり前の様に享受している「安全で、清潔な社会」とは脆いものかも知れません。バタフライ・エフェクトではありませんが、「65歳までの雇用義務、70歳までの雇用努力義務」という年金制度維持を目的とした窮余の策が、新たな社会問題を生み出しかねないのです。

「きつくて、安い」仕事が存在していること自体が限界を迎えている様に思います。「きつい」仕事をしてもらうには、仕事内容の難易度を問わずして「お金が掛かる」ものだ。これを社会が当たり前のこととして受け入れれば、それだけで随分と問題が解決できそうですけどね。

それに、「きつくて、安い」仕事をAIやロボットに置き換えていくコストよりも、人を雇った方が利益が出る、なんていう貪欲な発想を終わらせるよいタイミングかも知れませんしね。テクノロジで「きつくて、安い」仕事をイノベーションする!(人任せですけれど)誰か頼みましたよ。後は短絡的に「移民で何とかする」(それはそれで新たな問題)とか… 

解けないパズルを、みんなして解き続けるしかありません。「考えよう、答えはある」ハズですから。

本題の「シニア求人を眺める」ですが、何となく求人案件における「給与」が上がっている様に感じます。直観的には10%程度も。そうしないと「応募」もないんでしょうね。それと定年年齢も70歳までというものも増え、中には75歳、80歳までというのも珍しくありません。

神々の見えざる手が問題を解決してくれるんですかね。期待してしまいます。仕事自体が「きつそう」なのは変わりませんけれど。

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今日(7/14)の東京地方は雨が降ったり止んだりではっきりしない天気だったものの、過ごしやすい温度で随分と身体が楽でした。3連休も残すところ明日のみとなりました。ぐっすん( ;∀;)

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