最近は通勤時間、帰宅時間の電車にも海外からの観光客が大勢乗り込んできます。ぺちゃくちゃとうるさいのですが、本を読んでいてもまったく気になりません。意味が分からなければ、電車のガタンゴトンというノイズと大して変わらないのです。よかった、何も外国語ができなくて。
今日もまた、勝手にシニア求人を眺めることにします。今日は「シニアに用意された仕事」と「シニアの能力」のギャップを考えてみたいと思います。
私、間もなく祝!62歳になりますが、正直なところ、若い頃に比べて、体力、知力ともに「低下した」と思うことは余りないのです。まぁ、そもそも体力もなければ、運動神経もどこかに置いてきてしまい、知力といっても何一つ誇ることもないので、全体的に「レベルの低い」感想なんですけどね。
アメリカの幾つかの大学の研究結果でも、年を取ることで「劣化する」部分もあれば、「向上する」部分も多いことが報告されています。よく知られているのが、ワシントン大学の「シアトル縦断研究」。これは、約5000人を対象に加齢による脳の様々な変化を半世紀以上も追跡調査した結果、研究者に加齢と脳の関係を再考させるきっかけとなったものだそうです。
(出典:ハーバード大が突き止めた「年をとるほど脳が活性化する条件」 PRESIDENT Online 2020.9)
ワシントン大学が行なった認知力を測る6種のテスト中4種で、高齢者の成績の方が20代よりも良かったというのです。20代が勝ったもの:記憶力と認知のスピード。60代が勝ったもの:言語力、空間推論力、単純計算力、抽象的推論力。しかも、被験者の15%は高齢になってからのほうが若いときより記憶力が優れていたのだとか。
つまり、現役でバリバリやっていたときと、能力的にはほぼ変わらぬ一方で、用意されている仕事の多くはその能力を活かすことがないものだという「ギャップ」が至るところで発生することになります。
これまで私は「仕事の悩みは人間関係の悩み」ということを、何度もエントリで書いてきました。それはそうなのですが、実際のところは「単純で退屈な仕事だけれど、みんな仲良し」なんて職場は存在しない!と私は思っているのです。
よい人間関係というのは、互いの能力をリスペクトし合うところで生まれるものなので、仕事に真っ直ぐ向き合うことがなければ、それは「烏合の衆」に過ぎないのです。そういった集団はどんどんと歪んでいき、互いが互いを監視し、憎み、子供じみた力関係がその場を支配する様になっていきます。
そんなところに「ポーン」っと「現役の場」から放り込まれたら、結果は火を見るよりも明らかです。だから「誰でもできるカンタンな仕事です」なんて言葉を信じて安易に仕事を始めてしまうと「仕事はカンタンだけれど、やりがいも感じられないし、何だか職場に馴染まないんだよね」ということになりかねません。(勿論「もう、面倒な仕事なんかしたくないんだよ」という人もいると思いますけれど)
その結果、短期離職となってしまい、次の仕事が怖くなってしまう。けれど、シニアの労働市場は「そんなこと、分かり切っているんですよ。代えは幾らでもいますからね」とばかりに「カンタン」な仕事を、ずっとシニアにあてがい続けます。結構に不幸な構図です。
シニアがまだ衰えていない能力を発揮できる仕事に就くのは、本当に難しいことだと思うのです。もはや「お金」でもなく「誰かに認められること」でもなく、自分の能力を活かせる仕事をして、社会の片隅で静かに生きていきたい、これって、贅沢な望みなんですかね。
さて、肝心な「シニア求人」の現状ですが、相変わらず「警備」「マンション管理」「清掃」といった求人が無数に出されています。どれも求人広告には「カンタン」「未経験OK」の文字が踊ります。需要があるのか、人が定着しないのか。それとも、その両方なのか。
そんな中、「ドライバー」の求人が増えたことが目を引きました。「加害者になってしまう恐怖症」の私にはまったく無理な仕事です。神経がすり減ってしまいそうです。
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来週は水曜日(3/20)、祝日だったんですね!うっかりしていました。春のお彼岸ではありますが、この日は中日で道も混みそうなので、お彼岸の入り(3/17)に父母の墓参りにいくことにします。「随分と今年は早いね」などと褒めてもらえるかも知れません。