何か気に病むことがあって、いろいろと悪いシナリオをこれでもかという程に考えてしまう。見かねた誰かが「大丈夫だよ、心配事の9割は起こらないらしいよ」などと気休めを言ってくれる。ありがとう、だけど1割は悪いことが起きるのね… 余計に心配が募ります。

今年、家庭菜園の「トウモロコシ」の栽培に結構な力を注いでいて、こまめに草をむしり、風が吹いて倒れたといっては起こして支柱を立ててやり、肥料が必要だとネットで学べばパラパラと化成肥料を根元にまき、そして念入りに害虫対策の薬剤散布をしてきたのです。

何とかここまでは上手くいって、残りは「受粉」だけというタイミングで、「よりよって」台風に見舞われた訳です。まぁ、幸いなことに大した被害もなく、いよいよ今日の午後には、雄花を切り取って雌花にパラパラと振りかける人工授粉にチャレンジです。

昔から随分と「よりによって」に見舞われてきた様な気がします。本当はそんなことはなくて、「イヤな思い出」だけが記憶に残っているのかしら。特に会社の組織なんて、大体が「よりによって」評判の悪い上司のところに配属されてきた様に思います。まぁ、「評判のよい上司」なんてものがいた例は歴史上一度もないんでしょうけどね。

「よりによって」という言葉は「他にも選択肢がいろいろとあるのに、好ましくないものが選ばれた」という意味ですから、そこには誰かの選択意志が働いていたということになります。楽しみにしていたイベントが悪天候に見舞われるなんていうケースでは、選択者は「神さま」なので、せいぜい「勘弁してよ」と恨めしく空を見上げることしかできません。

人間が何かを選ぶといった場合に幾つもの法則があるのだそうです。有名なところでは「ジャムの法則」、そして「松竹梅の法則」「ジャムの法則」は「決定回避の法則」で、選択肢がたくさんあると選べなくなってしまうというものです。候補が多すぎると「何か」を選択したときに、それが間違いであることを恐れるあまりに「選ばない」という選択に至るのだそうです。「よりによって」の回避です。そうですよね、自分の選択を否定されるって、何だか人格そのものを否定されたみたいな悔しさがあります。

「松竹梅の法則」は、選択肢を三つ並べると人間は真ん中(竹)を選んでしまうというものです。確かに言われてみると私の場合もほぼ確実に「真ん中」を選択しています。きっと、この心理を見越して「真ん中」の商品の利益率が一番高かったりするのでしょうね。どこかで読んだ記憶があるのですが、本当は「一番下」のグレードを選ぶのが一番お得なのだとか。まぁ、人の手前だったり、妙なプライドが邪魔したりして、なかなかに「一番下」を選ぶのは難しいものです。

それで、時間だけはある退職者はじっくりと、さも素晴らしい選択ができるかと言えばそうはなりません。カミさんに頼まれたスーパーの買い物でも「よりによって」を選んでしまいます。「よりによって、このメーカーのものを買っちゃうんだから…」「よりによって、賞味期限の短いものを買っちゃうんだから…」「よりによって、こんな色のものを買っちゃうんだから…」。よりによって、私と暮らしているのはカミさんなので、そこは大目に。

昔、現役だった頃に来客に「飲物」は何にしますかと尋ねると、大体が誰かが最初に頼んだものと同じものを「私もそれで」ということになったものです。さすが同調圧力の国です。たまに最初の人が「バナナジュース」なんて頼むと、会議室にはバナナジュースがずらりと並びます。みんな思ってたんだろうな「よりによって」って。まぁ、バナナジュースは美味しいけどね。

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