いよいよ明日(12/22)は冬至です。この日を境にして、再び生きる力が地上にぐんぐんと広がっていく様な気がします。私が育った地方では、この日は「かぼちゃ」を食べるのが決まりでした。この年になって初めて知ったのですが、「冬至の七種」というのがあって、かぼちゃ(なんきん)、れんこん、にんじん、ぎんなん、きんかん、かんてん、うどんの7食材を指すのだそうです。
何でも「ん」が名前に入っている食べ物は縁起がいいのだとか。何となく、このメンバーを見ていると「ほうとう」をイメージしてしまいました。しばらく食べていないので、この週末にでも食べようかな。
先ずは、自分を「安全なところに置く」というのは大抵の人、否、生き物すべての本能と思います。大津波が来ても、高台にいれば命が助かりますからね。災害だけに限らず、学生の頃も、会社に勤めていても、私ときたら、とかく「安全なところに身を置く」ことに一所懸命だった様に思います。
振り返れば、リスクを取るのはいいけれど、先ずは「安全な場所を確保してからね」などというふざけたことをずっと考えてきた訳です。結果として、「安全な場所を確保する」ことで精一杯で、何一つ冒険やチャレンジをせずに61歳になってしまいました。
これは「情けない」と思う一方で、私の場合は「安全な場所で生きる」ことに持てる能力を全振りして、何とか生きてこられたとも思えるのです。
それで、今でも生き方の根底にはこの本能というか、信条というかは揺らぐことなく、「どんっ!」と居座っている訳です。何よりも先ずは「安全な場所」を探すのが先決。
そのくせして、自分で選び、居着いた「安全な場所」には常に文句を言ったりするのですから、本当に救われません。実際に私にとっての「安全な場所」が、他人から見ると「奈落の底」に見えていることもあるでしょう。逆に、私が「奈落の底」と思っている他人の暮らしがその人にとっては、居心地のよい「安全な場所」だったりするのです。
「安全な高台」でも「奈落の底」でも、どちらでもよいのですが、いよいよ長年の宿題であった「ここをベースキャンプとした冒険」というのをやってみても良さそうです。何といっても、ちんまりとした「安全な場所」から「通い」で出掛ける冒険ですから、大して遠くには行くことはありません。
お金も、体力も、知力もなく、基本としては「ひとり」ですが、時間だけはある。冒険と言っても。周囲に大それた宣言をしたり、道具をそろえたり、本格的になったりせずに、へらへらとやりたいことを「ちょこっと」やってみるだけのことですけどね。
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明日(12/22)は会社を欠勤して、病院に行ってきます。9月末に受けたアブレーション手術(治療)の経過観察がまだ続いているのです。これ、今回が最後なのかな。有給休暇を付与されるまでに、そんなに度々欠勤してはいられません。息の根が止まってしまいます。