昨日(11/3)から地域の大掛かりなイベントが開催されていて、他のところからも多くの人が来ている様子です。イベントと言っても、地元の商店が大通り沿いに臨時の露店を出しているだけなので、1時間も見れば「もういいや」ということになります。
それで、辺りを散策ということになるらしく、行き止まりの坂の上にある我家の周辺にも朝から沢山の人たちがやってきます。みなさん、せっかく坂道を登ってきて、この先がどこにもつながっていないことを知って、ガッカリして坂を下っていきます。
坂の麓には市が設置した「この先行き止まり」という看板が、たった一ヶ所だけ電柱に括りつけられているのですが、これが何とも目立たない、分かり辛いのです。看板の枚数を増やすとか、もっと大きなものにするとか、何とかしてもらえればいいんですけどね。
さて、私の性分として、いつも「取り越し苦労」をしています。所謂「心配性」なのです。まだ2ヶ月を残していますが、今年はいろいろと変化のあった一年だったので、ここに至るまでずっと「取り越し苦労」の連続でした。
7月末に前の会社を辞めるときも、いつそのことを会社に伝えたらいいんだろうとか、誰から順番に伝えたらいいんだろうとか、私が辞めたら同じチームのメンバーに迷惑を掛けないだろうかとか。2月くらいから、ずっと心配をしていました。
そもそもの退職理由が病気の治療だったので、そんなこと何も悩む必要などないんですけどね。正に「一身上の都合」だったのですから。それで、よく言われる「3ヶ月程前には伝える」というタイミングが来たら、何も心配することもなくするっと「退職」を伝えることができました。そのときになれば、どうすればよいか自ずから分かるものなんですね。
退職後、役所に行ったり、ハロワに行ったりと無職生活に突入するにあたり、どんな手続きをすればいいのかと、これもまた随分と心配をしました。本を読んだり、WEBサイトをハシゴしたり、ようつべに大量に上がっている動画を見たりしました。
けれど、これもまた、そのタイミングになって、その場に行けば、何ら困ることもなく、しれっと終わるのです。そうですよね、同じことを無数の人が繰り返しているのですから。問題なく出来て当然なのです。
心房細動のアブレーション手術(治療)をするにあたっても、随分と心配をしました。「痛み」とか、「手術の失敗確率」とか、随分とWEBサイトを見ては怯えたものです。万が一のために「遺書」まで書きそうでしたよ。
これも手術台(処置台)に横になったら、何ということはなく麻酔で眠ってしまい、いつの間にか手術も終わり、後はケロっとしていました。手術の失敗確率:1000分の1なんてネットの記事を読んで、「自分がそれにあたるかも知れない」と心配していたのは何だったのでしょうか。
更には再就職の面接の際に、「こんなことを言おう」「言わない様にしよう」なんて、これもまた色んなところで、妙な情報を頭に入れてしまい、随分と考え込んだりしました。けれど、いざ面接が始まると、そんな準備などどこかに吹っ飛んでしまい、ただそのときに思ったことをペラペラと喋っていました。それでも、運よく内定をもらったのです。
これまでずっとそうやって生きてきたのですから、急にオジイサンになってから、性分が変わることはないことでしょう。けれどこの年になって、ようやく「そのときになれば分かる」なんて思える様になった一年でした。
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愛猫の爪が随分と伸びてしまったので、爪切りをしようとカミさんとふたりで、うちの子をがんじがらめにしたのですが、肝心の爪が伸びすぎてしまい、肉球から上手く分離させることができないのです。来週は動物病院に行って、爪切りやら足裏の毛を短くしてもらわなければなりません。先生に「こんなこともできないんですか?」って言われそうです。