アメリカの大統領選挙、何故か日本でも盛り上がっています。誰が大統領になっても、その国の国民がその国のリーダーを選んだのですから、遠いアジアの片隅でしたり顔で、あーだこーだ言ってもただ滑稽なだけと思いますけどね。それよりも、もっと自分たちの国で今起きていることをメディアはきちんと報道してくれないかしらん。
さて、いつからか「上を目指す」「今日よりも素晴らしい明日」という発想ではなく、「この線を維持する」というのが基本姿勢になっている様に思います。誰が?私が。まぁ、そうですよね、62歳どころか、うかうかしていると63歳にもなろうというお年寄りに「上がり目」などある訳がありません。
多少新しいことができる様になった、何か技を身に付けた、呪文を手に入れたみたいなことになったとしても、それは「この線を維持する」ための健気な抵抗でしかありません。それに、どんなにアイテムを手に入れても、本当は「この線を維持する」なんて、できる訳がないのです。。
この考え方というのは「仕事選び」において、最も顕著に表に現れてきます。若い頃は「もっと沢山給料を貰えるところ」というのが、大きな仕事選びの判断条件だったのが、年を取って、どんどん労働市場での価値が低下するにつれ、これが「最低xx円もらえれば、あとは楽なところ」へと変わっていきます。
仕事に限らず、一事が万事で、「上がり目」がない毎日を如何に快適に過ごすかが年寄りに突き付けられた「課題」ということになります。「上がり目」とか「希望」とか、そういった瑞々しくて、オリーブをくわえた鳩が空を舞う様な世界から突然に切り離されて、それでも「お迎え」が来るまで、何も起きない毎日を過ごしていく。
自分がいる場所、自分が進む先は「そういうものだ」と分かれば、如何様にもルート設定ができるというものです。「上がり目」のない未来、何だか、面白そうじゃないですか。
脱力して、「これからの人」たちの邪魔をせず、自分を勘違いせずに、したたかに「この線より下がらない」戦略を遂行していく。平和で静かな撤退戦みたいなものですかね。それに、今の時代というのは昔に比べて、確実に「お金が掛からなく」なっているのです。
ネットがあったり、図書館が充実していたり、着るものも食べるものも安いし。撤退戦といいながら、意外といい暮らしができたりします。いつまで続くか分からないけどね。
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少し前のエントリに最近は「豆」と「芋」を好む様になったと書きましたが、今年の秋は「栗」と「柿」の美味しさにハマっています。旬の中に沢山食べておくことにいたしましょう。