最近は、耳にした歌詞の一節をネットで検索するだけで、それが何という曲なのかが分かります。数日前に帰宅時の電車の中で観たイギリスのドラマの中で使われていた曲が、いたく気に入ったのです。ところが、エンドクレジットにもその曲の情報が流れずに、はて?となったのです。

それで、明確に聞き取れた「cold city lights growing」という単語を検索したところ、すぐにそれがRichard Hawleyという歌手の「Coles Corner」という曲であることが分りました。検索入力をしている途中の候補表示の段階で、この一節が表示されたので、きっとみんな同じ様にこの曲の名前を探していたのでしょう。スローなワルツでじーんと来ますよ。

「100歳まで生きるつもり(最低でも90歳)」なんてことをブログに書いたり、周囲の人によく言ったりします。何の根拠もなく、何となく長生きして、いろんなものを見たり、聴いたり、感じたりしたいなぁと思うだけなんですけどね。

けれど、本当にそのつもりであれば、それなりの心構え、それなりの準備をする必要がありそうです。特別なことをした訳ではないけれど、100歳まで生きちゃったよみたいな人をよくTVとかで見ますが、普通はそうは行かないように思うのです。

それで、そもそも62歳(もうすぐ63歳)の私が100歳まで生きる確率はどれくらいなんだろうとネットに訊いたところ「1%」と即答してもらいました。それに、便利な「長生き確率表」なるWEBページの紹介までしてもらいました。(長生き確率表

同級生100人がいて、100歳を迎えられるのは、たったの一人か… そう考えると無理、無理なんて思ってしまいます。体育館の中央にポツンと一人、ヨボヨボの自分がいる。なかなかにイメージができません。

平均寿命(約81歳)まで生きる確率は50%、75歳までだと約75%だそうです。加えて、健康寿命とされているのは凡そ73歳なので、何も備えをしなければ、私の「今と変わらぬ日々」を過ごせるのは、これから先、本当に僅かな期間しかないことになります。

それに、何の備えも無しに、思ったよりも長生きしてしまったが故に、何らかの不自由(健康、お金、孤独)を抱えて行動に制限が掛かってしまっては、「終わりよければ」とはならず、失意の中に混濁の海に没してしまうことにもなりかねません。

そんなことを漠然と頭に浮かべたときに、何を今考えるかと言えば、この辺りで、一度、きちんと覚悟をして、時間とお金を掛けて、「元気に長生き、上機嫌に長生き」の備えをするのはどうだろうということなのです。

ちなみに「お金を掛けて」というのは、「収入がない期間を作って」という意味だったりします。日々、働きながら、いろいろと目の前の些事に惑わされながら、器用に別のことの「備え」をするというのは難しいですからね。というか、そんなことはできないのです。

人生最後の充電期間、かっこいい! そもそも、これまで一度も充電なんかしたことがないんですけどね。既に、遅きに失していることは否めませんが、それでも今の1年は80歳になったときの1年とは、まったく意味が違う様に思うのです。まぁ、今日明日で決めたり、行動に移す必要があることではないので、じっくり、ゆっくり、こってり、まったりと考えていたりするのです。

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もう少し暖かくなったら、隅から隅まで庭を点検してやろうと思っています。よそ様のところでも同じでしょうが、春になって庭いじりを再開すると、思いもよらぬものが地面から「にょきっ」と生えていたりします。これを見つけて、適当な鉢に引っ越しをさせて、育てるのが楽しいのです。

桑でしょ、万両でしょ、山椒でしょ、タチツボスミレでしょ。それに名前も知らない木の苗が、いきなり20cmくらいの大きさに育っていたります。風が運んでくるのか、鳥が運んでくるのか、真実はともかくとして、我家にようこそ!ということなのです。

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