明日(2/2)の降雪のことを考えて、今日は朝から「できるだけのこと」をやりました。人は「できるだけのこと」をやった後には、例え結果がどうであっても、「しょうがないよね」と受け入れられます。そして、「できるだけ」という言葉を正確に記すならば、「今、目の前にある制約の下で『できるだけ』」ということになります。

そこに至る因果を問うことは止めにして、私たちは常に「制約」の下で、その瞬間を生きています。その「制約」があっても、私たちが使えるものが、自分の「持ち物」「リソース」ということになります。結局はこれを使って、何とか凌いでいくしかありません。

一番大事な「持ち物」は『時間』で、「6ヶ月で」「3時間で」「30分で」といった、自分が持っている資源量の範囲でベストを尽くすというのが「できるだけのこと」になります。大体のことは「時、既に遅し」みたいな状態でしか、私たちはモノゴトに取り掛かることはできないことになっています。

「時間」の大切さを理解して、余裕時間を自分で生み出すという事前の準備をしておかねばならないのですが、そんなこと、私はただの一度だってできたことがありません。今でもしょっちゅう、思いますもの、「あぁ、あと一日あったらな」って。これはきっと最期のときまで、そう言っていることでしょう。

次に大事な「持ち物」は『能力』です。同じ「3時間」であっても、目の前の問題を解決する能力(知識、経験、ノウハウ)を持っているか否かで「できること」は大きく変わります。常に自分を磨いておくこと、これが窮地に立てば立つ程にモノを言ってきます。

でもね、これは「今となっては」みたいなものなので、不足する能力は「ガンバル」ことで補うしかないのです。「しっかり勉強しておけ」という親の言葉が今となって身に染みます。大体、親の言うことは正しいんですよ。

そして、そのものズバリの『道具』です。パソコンとか、複合機とか、文具とか、電卓とかそういうものです。こういったものの「あるなし」で、随分と「できるだけのこと」も変わってきます。今は、自宅に仕事を持ち帰るなんてことはできない世の中になりましたが、大昔は週末に家に仕事を持ち帰るなんてことが当たり前でした。そうすると、痛い程の気付くんですよ。「会社って、凄いところだな」とね。

オフィスにあって当たり前のものの道具の多くは自宅にはなく、それが故に同じことをやろうとしてもできない、時間が掛かってしまうことが実に多いのです。先ずは紙を広げられる大きな机がありません。それから、必要な情報を目の前に揃えて可視化させるための大量のプリントアウトもできません。無理すればできるけどね。いずれにせよ、私は古いニンゲンなので、紙がないと仕事にならないのです。

そうそう、何か訊いてすぐに答えてくれる「便利な人」も自宅にはいないのです。何かを調べることこそが、最大の「時間喰い虫」なんですよ。思えば、人が集まって仕事をするのって、効率的なんだな。

こういったものの一部、もしくはすべてが無いけれど、その中で「できるだけのこと」をやる。私たちが最期のときまで続けているのは、きっとそういうことなのでしょう。まぁ、大体が無理ゲーなんでしょうけどね。それでも「できるだけのこと」をやる。そして、一瞬は清々しい気分になるものの、結局は撃沈する。そんなもんですよ。

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週末には靴を干します。一週間、発汗する足と靴下がその中に入っていたのですから、カビ防止のためにも靴を干すのは欠かせないのです。干されている靴を眺めていると、その苦労が伝わってくる様な気になります。来週も頼んだぜ、勿論、雨や雪の日には無理して履かないからさ。

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