スポーツにおいて、決して破られることはないと言われた大昔の記録が新しく塗り替えられたとき、以前の記録保持者の子孫がその記録を打ち破った選手にこういう話をすることがあります。「ありがとう、あなたのお蔭で私の祖父のことをまたみんなが思い出してくれました」 自分や自分に繋がるもののことを誰かが覚えていてくれる、誰かがいつか思い出してくれる、それはとても喜ばしいことに違いありません。
私が生まれる以前にこの世を去っていた伯父のことが、wikipediaに掲載されていることをつい最近知りました。名前と軍人であったということしか知らなかった伯父がどの様な生い立ちで、何をした人だったのかをwikiで初めて知ったのです。
そして、「亡き父の兄」という人の存在が急に身近に思えたのです。だから「私もエライ」なんて微塵も思いませんが、父や強いて言えば私に関する新しいことを知ることができ、うれしい気持ちになったのです。伯父に関する記録が、私に連なる人たちのことを改めていろいろと思い出せてくれたのです。
過去の記録がデジタル化され、これがデータベースに登録されることで、私たちは容易に「過去の記録」に触れることができる様になりました。「No.1の記録」でなくてもよいのです。高校や大学に残る卒業生名簿でも、会社の社員名簿でも、地元のソフトボール大会の記録でも何でもよいのです。確かにあのときに「こんな人」がいて、「こんなこと」があった。ただその記録があるだけで、人は様々な記憶を呼び起こす、結びつけることができるのです。
ちなみに「社員名簿」は労働基準法に定められた作成義務のあるもので、保存義務期間は3年です。去る者は日日に疎し、記録が先か、記憶が先か、いずれにせよ、みんなキレイさっぱりと失われていくのです。個人情報なんて持っていたくないから、重さも面積も取らないデジタルデータであっても「スパっ」とやっちゃうんでしょうね、会社ってとこは。
さて、「日々の記録」を休まずに毎日記している人がいます。つまり「日記」を書いている人です。最近の「日記事情」を調べてみました。まぁ、最近といっても4年前(2018年)のアンケート調査です。何だか、最近は4年前といっても大昔みたいに思ってしまいます。
※出典:合同会社 ロケラボ 『日々の出来事・思い出などの記録に関するアンケート調査』(2018.6)
<日々の出来事を記録に付けているか>
「記録に付けている」のは30代女性が最も高く39%。続いて、20代女性と60代女性が31%。。男性では、20代が最も高く27%で、その他の年代は15%~20%。
この国の40~50代は男女問わず、みんな忙しいのです。大体、こういう「少し手間が掛かる習慣」に関するアンケート調査の結果は同じ傾向になる様に思います。女性の場合、仕事や家庭での「忙しさ」から解放されると再び「良き習慣」を再開する。一方で男性の場合は、なかなかに新しい生活リズムに慣れずに「何をやっているのやら」になってしまう。困りました。
<どの様な手段(メディア)に記録を付けているか>
「(個人的な)日記を付けている」との回答がどの年代性別でも高く、特に、60代女性(28%)、30代女性(26%)が顕著。「ブログに書いている」「SNSに書いている」との回答合計は、30代女性(25%)、20代男性(21%)、20代女性(18%)で高い。
ちなみに「(個人的な)日記」というのは「紙媒体」が圧倒的に多く、パソコンやスマホに打ち込んでいる人は少数派となっています。「日記」は書いたり、つけたりするもので、「日記を打つ」とか「日記を指でフニフニする」ではしっくりきません。もしかすると「手間が掛かる」方が長続きするのかも知れません。確かにSNSは日記と言えば日記ですね。まぁ、日記帳やノートに書いていれば「炎上」することもありませんけれど。
私のような何の業績も上げられず、何も世間様に認められる様なこともできなかったオジさんが「存在した」という記録は、学校や退職した会社などに細々と残っているだけなのです。そのデータだって雨に打たれ、雪に埋もれ、だれかの手違いや合理的な事由によりスッパリと消されてしまったりするのです。それ以前に誰も検索して、私の名前を探したりしないけどね。太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。(三好達治:雪) こういう感じ。データセンターを眠らせ、データセンターの屋根に雪ふりつむ。(これだと実際には災害だよ)
日記の様なこのブログだって、レンタルサーバ会社に年貢を払わないと即刻更地になってしまいます。まぁ、それで十分です。記録にも残らず、人の記憶にも残らず、ほめられもせず、苦にもされず、そういうものに私はなりたい。(宮沢先生、パクりました)