(週に2、3日しか働きませんが)現在の仕事先からの帰宅途中、本来降りる駅の一つ手前の駅で降りて歩いて家に帰ることがあります。線路は地面から5メートルほども低いところ、いわゆる「切通し」を走っていて、セメントの壁ががっちりとその両脇を守っています。切通しの崖(壁)の上には、線路を見下ろす様に細い道があり、私はそこを歩くのです。
街路灯もまばらで薄暗い道を、私はコチコチになった体を自己流でほぐしながら歩きます。腕を回したり、手首から先をパタパタさせたり、信号に行く手を遮られればアキレス腱を伸ばしたりします。約2kmの距離で30分も掛かりませんが、気分転換の楽しい時間です。
この切通しをまたいで何本か陸橋が掛けられています。鉄道をまたぐ陸橋のことを、跨線橋(こせんきょう)というのだそうです。中でも、切通しも終わりとなる最後の陸橋は、今も昔もこの辺りに住む子供たちの人気スポットです。陸橋の上で、子供たちは転落防止の金網を片手で掴み、遠くから段々と姿を大きくする電車に向けてもう片方の手を振ります。ちぎれんばかりに一所懸命に手を振ります。すると時に、それに気付いた運転手さんが手を振り返してくれます。子供たちはもう大喜びです。そして、急いで、陸橋の反対側へと走り、今度は橋の下をダダダダッという音と共に通り抜けた電車に向かい、同じように大きく手を振ります。電車は一本の棒の様になって、みるみる小さくなっていきます。私もそうでしたが、このあたりの子供たちは、親に連れられたり、友達と共に小さな自転車を繰って、この橋の上にやってきては、飽きもせずに電車に手を振るのです。そして、いつの間にか 、ここで電車に手を振ることから卒業していきます。
夕方になり空気が澄むと、この陸橋から遠く富士山が見えます。夕暮れの西の空に黒々とした富士山のシルエットが浮かび上がります。今度は家への帰る途中の大人たちが立ち止まります。みんな、しばし足をとめてこの景色に見入るのです。
私が帰宅途中に歩く頃にはあたりも暗く、私の住む街の駅が線路の先に、夜に浮かんだ島のように四方に灯りを投げ掛けています。今日も無事に帰ってきました。
電車に手を振っていた子供の頃から、既に半世紀以上が経ったのです。けれど、この陸橋の上からの景色はあの日から大して変わっていないように思えます。人だけが入れ替わりながら、この平和な情景がこれから何十年も何千年も、未来永劫続いていく様な気がするのです。何の根拠も、何の確信もなく。