東京地方は今日(1/10)、大変な強風に見舞われ、私が住む郊外の街でも砂埃が舞い上がり、風が唸りを上げていました。体感温度も随分と冷たく、お昼頃にうっかり薄手のコートで外出してしまい、用事を済ませてから「ほうほうのてい」で家に戻りました。
一息ついて、ぬくぬくとした部屋の窓から外を眺めていると、庭の梅の花がもう幾つもほころんでいました。まだ、大寒にも至らず「寒さの底」付近なのでしょうが、何となく「春も遠くないなぁ」と思いました。
年末年始の間、しばらく本を読まずにTVやネットにうつつを抜かしていたのですが、流石に食傷気味になってしまいました。という訳で再び図書館の蔵書にお世話になる暮らしを始めています。
月額980円を払ってAmazonの「kindle unlimited」のサービスを使うことも考えてはいるのですが、これまでも何十冊もkindle版の書籍購入をしたものの、これらのほとんどが読まれることなく積読(?)状態になっており、結果、同じことになりそうと自分を疑っているのです。
今読んでいるのは「武器になる哲学」(山口周さん)という本なのですが、人類が積み上げてきた「哲学」を、今を生きていく私たちがどの様に応用、展開できるのかをシンプルに提示してくれています。面白くて、どんどんページをめくってしまいます。
小説の様に「本を読むこと自体がエンターテインメント」というものでなければ、本というのは「そのときの自分」が引き寄せた「精霊」みたいなものだと思うのです。訳の分からないことを言っていますが、要は「困っていること」があったり、「もやもやとして落ち着かないこと」があったり、「失敗したなと凹んで」いたりしたときに、丁度いい言葉がそこに見出せるということなのです。
勿論、そういう状態を解決すべく「ノウハウ本」「啓蒙本」にすがるという場合もあるのでしょうが、何気なく手に取った本の中に「なるほど」があったり「そうだったのか」があったりするのです。答えやヒントだけでなく、ときには「問い」自体もキレイに整理してくれます。
だから、相当の期間が経過した後に「よかった本」を読み返しても、ぴんとこないということも起きたりします。それは自分がその「問い」を克服したのか、迂回したのか、いつの間にか自然に「問い」が消失したのか、いずれにせよ、少しは先に進んだのかも知れません。
今読んでいる「武器になる哲学」(山口周さん)にはどちらかと言えば、自分が表に出すことができなかった「問い」を気付かせてもらっている様な気がします。セミリタイアして、「気付かない幸せ」なんてものを満喫しているのも考えものです。必要以上に変なものを抱え込むのも困りますが。
それと今回は随分と改めて「後悔」することも多いのです。今更何も過去を変えることはできないので、残り僅かの人生であっても同じことを繰り返さないことが、せめてもの過去の失敗への供養です。勝手なものいいですよね。
昨日、職場の同僚が「コロナ」から復帰しました。結局年末から昨日まで、約2週間のお休みとなっていたのです。その間、熱が38℃からなかなかに下がらずに、出社した昨日も、まだ気持ちの悪い咳が少し残っているそうです。随分と間近まで「コロナの足音」がしてきました。
兎にも角にも免疫力を高める、これ一択です。笑って、暖まって、気持ちを楽にして、美味しいものを食べる… 幸せが一番のコロナ対策だったんですね。