今日(9/11)、家に帰ったら、未開封の宅配便の箱やら封筒が4つありました。カミさん曰く「これ、全部、猫ちゃんのごはんやおやつ」なのだそうです。いいんですよ、こっちがどんなに食事代をケチっても、愛猫が幸せならば。

世の中、「どうやら、ここまでのようですね。諦めますよ」と言った方が上手くいくということが多々ある様に最近は思っています。昔は「虚仮の一念岩をも通す」とばかりに「ひたすらに押しまくる」ことで、無理くり自分の望みを押し通したものですが、今思えば、これは明らかな間違ったやり方だったのです。

例えば車を買うなんていうときに、「もっと値引きしてよ」とあれやこれやとイヤらしい手を使ったりします。競合する車の値引き状況を伝えたりとか、値引きができないならオプションを沢山付けてねとか。

けれど、これ、「うーん、これじゃ、お金が無くて買えません。諦めますね」と言った方が結果としてよいものを得られる様にも思えるのです。勿論、このときに、本当にお金がないことが重要で、「諦めます」のリアリティが違います。だって、無いものは無いのです。

すると、勝手に相手の方が「何とかしてくれる」様な気がします。それで「何ともならない」ときには、そのままに諦める。最初から「諦めて」いたんだから、痛くも何ともない。

仕事でも社内外の誰かにネゴをするときに、へこへこと「土下座」したり、逆に高圧的に脅かしたりせずに、こちらが望むことだけを伝えて、相手が「無理ですね」ということになれば、「分かりました。諦めます」とにこやかにその場から立ち去る。

そうすると、大体のケースで、相手から「まぁ、そんなことを言わずに。何とかなるかも知れませんよ」などと解決策が提示されたりします。不思議なものです。それに、それが望み通りに行かなくとも、相手方がしてくれた行為に感謝をすることで、以降、良好な関係が築けたりします。

今日も、会社でそんなことがあったのです。昔と違って、こちらも体力も気力も無くなっているので、相手方にかなり無理な対処をお願いしていたものの「無理強い」をやり通すだけのエネルギーはなく、早々に「諦めます」と伝え、「また、出直します」としたのです。

そうしたら、相手方や周囲の人たちがいろいろと動いてくれて、結局「何とかなった」のです。有難い話です。これも「計算高く」したことではなく、本当にこのまま押し切るのは無理だなぁ、素直にもう少し、余裕をもってことを為さなければいけないなという思いから出た言葉だったのです。

無理なこと、道理を欠くことことは頑張らずに「諦める」、すると一番上手いかたちで「何とかなる」ように周囲が考えてくれる。私は大変に幸せな社会で暮らしているのでしょう。

*****
ずっと冷房の効いた部屋にいるので、ランチは家でも外でも、できるだけ温かいものをとる様にしています。コンビニで適当なものを買うときも「スープ」なんかを選んだりします。それだけでも、随分と体調維持にはよい様に思っています。ちなみに私が好きなのは、パスタが入ったタラコ風味のスープです。思えば、こればかり食べています。

***
ブログランキングに参加しています。よろしければポチっとお願いします。やる気がでます。