「紀州のドンファン」さん事件、あれ、被告が黒だ白だとみんなペチャクチャと話しています。私はドンファンさんは、被告の奥さんが例え何を企んでいても、「どうでもいいんだよ、お前の好きな様にすればいい。オレはそれをニコニコと受け入れるよ」なんて考えていた様に思ったりしたのです。

何の根拠もなく、大して事件のことも知らないけれど、TVニュースで裁判のことを報じているのを見て、そんなことを思ったのです。そうでも考えないと、余りに筋が通らない事件なので。もし、そうであるならば、それはとても切ない物語なのかも知れません。とにかく、遠いところで起きた話です。

ここしばらく「旅」なるものに行っていないのですが、「旅」が人を魅了するのは、とにもかくにもそれが「非日常」であるからと思います。どんなに日常を愛する人であっても、時折「非日常」に惹かれてしまいます。

それで、どこに「非日常」を感じるのか、それって、人それぞれ、人生いろいろな訳です。食事なのか、宿なのか、訪問先の景勝なのか、はたまた言葉が通じない不自由さなのか… 私にとって最も魅力的な「非日常」は、高速道路の「SA」(サービスエリア)、「PA」(パーキングエリア)だったりします。これ、そう感じる人も結構多い様に思います。

「SA」は約50kmおきにあって「人と車」を癒すための比較的大きな施設で、「PA」は約15kmおきにあって主には「人」を対象とした比較的小さな施設、そんな区分なのだそうです。50kmおきというのは、時速100kmで走行するならば30分走ると「次」に会えることになります。15kmおきだと約10分。トイレに行きたいときなど、「全然SAもPAも無いよ」なんて思ってしまいますけどね、意外でした。

旅先の記憶はほとんど無くても、「SA」「PA」でおそばやラーメンを食べたことや、カップのコーヒーや缶コーヒーを飲んだことは覚えていたりします。きっと本当は、どれも大して感動する様な味ではないのでしょうが、「非日常」感がいろいろと補正をしてくれているのです。うん、何でも美味しい。

私は大きな「SA」よりも、自販機と僅かばかりの広さの土産品コーナーくらいしかない、小さなところが好きなのです。特に寒い季節の真夜中が最高だったりします。駐車エリアには数台のトラックがいるだけで、家族連れも若者たちのグループもいない、そんなシチュエーションにくらくらしてしまいます。

「寒い~」なんて独り言を言いながら車から降りて、先ずはトイレに行き、それから、飲み物を自販機から選びます。ホットスナックの自販機があれば、例えお腹が大してすいていなくても、何かしら買ってしまいます。

そんな戦利品を手にして、屋内であったり、場合によっては寒風が吹きすさぶオモテのベンチに陣取ります。そして、これらのものを飲み食いしながら、世界中のすべてのものから切り離されて、「ぼーっ」とする。これが、私にとっての最高の「非日常」だったりするのです。きっと、幸薄い人なのでしょう、私は。

但し、こういうのって「それを目的とする」のではなく、遠くに住む親戚の冠婚葬祭・法事といった避けがたい行事に行った帰り、なんて絶妙な状況であることが大事だったりします。難しいものです。

でもね、代り映えしない「日常」を営々と過ごしていても、「似た様な非日常」に迷い込むことがあって、ひどくうれしい気分になったりするのです。それは、私にとっては「墓参り」だったり、「役所などへの届出、申請」だったりします。

誰のためでもなく、突き詰めれば自分のためにやっていることであっても、何となく「責務感」がある。こういうことをしているときに、自分では何もできないアイドリングタイムが発生するときがあります。墓参りであれば車が渋滞に巻き込まれる、役所であれば名前を呼ばれるまでの順番待ちに突入する。

こういう時間って、私はまったく苦にならないのです。それどころか、うれしかったりするのです。ただただ「ぼーっ」とする。そんなときに「缶コーヒー」があると最高なんですけどね。私は「微糖」が好き。

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今日(12/15)は日曜日だというのに、朝から我家の呼鈴が何度も押されました。宅配です(置配をお願いしてたでしょ)、近所のインターネット回線の工事が終わりました(うちが頼んだ工事じゃないし、いちいち説明はいりません)、〇〇のご挨拶にお伺いしました(よく聞き取れないし、お引き取り願います)。普段家にいるカミさんは大変だな。

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