最近はお財布を持たずに外出をすることも増えました。その代わりに電子マネー(カード)、スマホ、クレカなどを持ち歩いているのですが、時折、これらのものもスカっと家に忘れて外出してしまうことがあります。そんなときはどうするのか?当たり前ですが、お金を使わずに家に戻るのみです。「ワスレタトキハ、デカケズニ」です。
気を付けていないと、ふとしたことで「イキって」しまうことがあります。だれでもそうだと勝手に思っているのですが、ニンゲン、年を取るとこれが頻繁に起きる様になります。この背景にあるのは、自分にヒドイことをした人を「懲らしめてやろう」という感情ではないかしらん。
勿論「自己救済」などというものは社会において認められていませんが、ニンゲンは感情で生きているので、そんなモラルとか、常識といったものは、自分にとって不愉快なことが起きた瞬間に、どこかに吹き飛んでしまいます。「やられたら、やり返す」ってことです。
それで、相手を「懲らしめてやろう」とばかりにイキった振る舞いをしてしまう訳です。朝の通勤電車の中では「イキった」人たちを頻繁に見つけることができます。「肘が当たった」「強引に押してきた」「ヘッドホンからの音漏れがうるさい」「咳をするな、マスクをしろ」、老若男女を問わずして、みんな相手を睨みつけたり、時には口に出してしまったりします。この行為に及ぶ人たちで、圧倒的に多いのが我らがご同輩のジジイですけどね。
これ、面白いのが「イキる」にもしっかりと相手を見定めているというところです。もしも相手が、「巨漢でこわそうな人」だったり、逆に、今にも息をしなくなってしまいそうな「おばあさん」だったりすると「イキったり」はしないのです。だから、「イキる」というのは非常に計算高い、姑息なイジワルということになります。誰か、身長2m体重140kgで両腕にびっしりとタトゥーが入っているみたいな人に「イキって」みて欲しいものです。
それで、普通はイキった後には「反省」が待っています。どうして、あんな振る舞いをしたんだろと凹む訳です。だったら、イキらなければよかったのに。でもね、感情の嵐がゴーゴーと頭の中に吹き荒れて、どうしてもそうせざるを得なかったんですよ。人間だもの。
幾つか「これを克服できたら、人類の大きな進歩だ」と私が思っていることがあって、その中の一つが「イキるのを止める」です。ちなみに別の大きな進歩として、「自分の目下と思っている人に、鼻を明かされても怒らない」というのもあります。この二つを克服している人というのは、私は出会ったことがありません。私?私は両方共に現役バリバリですよ。心が貧しいオジイサンなんですもの。
どうして、こんなことをエントリに書いているかと言えば、昨日、少し「イキって」しまうことがあったからです。何だかな。そもそも、何で、相手を「懲らしめてやろう」とか、「イキる」ことで私は怒っているんだゾと伝えなけれなならないのか。大事なのはその真因です。会社とかで上司に詰められたでしょ、「真因分析」とか言って。それです、それ。
結局「自分がないがしろ」にされたと思うと、この負の感情にスイッチが入ってしまう様に思うのです。だとすると、大した思い上がりということになります。そもそも、誰も「アンタ」のことを思いやったり、大事にする義務などありはしないし、それどころか「へのへのもへじ」程度にしか認識していないのです。
それなのに、ひとりで勝手に「ないがしろにされた」などと思って、カチンと来ると言うのは、何かその人の心の奥に「鬱積した怒り」の様なものがあるからに他なりません。「火種があるから火が付く」のです。敢えて、ここまでで「なぜなぜ」を止めるとするならば、これが「真因」ということになります。
つまり「イキる」ことをやめたいならば、極力「怒りを鬱積させない」ことから始めるのがよさそうです。けれど、このストレスフルな時代に「毎日ぐっすり眠って、その日に起きたイヤなことは、すべてその日の中に忘れる」なんてできる訳がありません。
だから、「イキる」問題への対処方法は、自分の中には「火種」があることを自覚して、これに点火をさせないように自分を飼いならすことなのかなと思います。そう、自分は危険な存在なので、用心しておけよということです。結局、打つ手はないということですね…困ったものです。
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地元で採れた野菜を駅前の広場で売っていたので、「ホウレンソウ」と「ミカン」を買いました。ホウレンソウはともかく、「ミカン」も東京郊外で収穫できるんですね。それで「ミカン栽培の北限」を調べてみると、何と新潟県なのだそうです。地球温暖化の影響で、ミカンの栽培ができる土地がどんどん北上しているのだとか。今日も学びがありました。