それ程多くのものをこれからの日々に望まないとしても、そこには常に選択肢があって、自分の意思でよきものを選べる様にしておきたいと思います。ビールにしようか、ワインにしようか、ハイボールも捨てがたい。ラーメンにしようか、チャーハンにしようか、いっそ半ラー半チャーにしようか。そういうことです。

今や世界には選びきれない程の選択肢が用意されていて、欲するものを手に入れるための「お金」と、そこに価値を見出すことができる「能力、心の豊かさ」があれば、無敵の人生です。勿論、若ければ「未来」をもって、これらに代えることができます。やっぱり「若い」って素晴らしいことです。

60歳にもなれば、年齢的なこと、体力的なこと、その他積み上げてきた負債のために、そもそもの選択肢が随分と狭まってきます。もはや、就ける仕事も限られ、住宅融資が受けられず豪邸を作ったりタワマンに住むこともできず、高血圧で塩分の多いものも食べられません。

けれど、まだまだ「選択肢、選択の自由」は残されています。というか、これまでの選択肢を失った一方で、新しい選択肢も手に入れることができたのかも知れません。お金はなくとも自由に使える「時間」が増えましたからね。

平日の図書館でゆっくりと読みたい本を探し、選択できること、ランチに食べたいものを無限の候補から選択できること(自分で作るんですけどね)、新しいテクノロジ(主としてIT)のお裾分けによりできる様になった「ひとり遊び」の数々… 自分で選ぶことができる幸せは何物にも代え難いのです。それに、自分で選んだものなら「納得」できます。

「われわれは自らの選択の力によって、自分の人生を設計していく」これは日本でもベストセラーになった「カモメのジョナサン」(1970年)の作者、リチャード・バックさんの言葉だそうです。良い言葉です。「叩けよ、さらば開かれん」ならぬ「選べよ、さらば開かれん」ですかね。

一気に涼しく、否、肌寒くなったので、明日はホットウイスキーにするお酒を買いにいきます。先立つものの制約から選択肢は限られるものの「納得のいく1本」を選びたいと思います。利き酒ができる訳でもないので、「何となく」ですけれど。

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