「与えれば与えるほどに沢山のものが入ってくる」と言われますが、これは本当です。出し惜しみせずにそのときに自分ができる最善を相手に提供する。するといつの間にか「与えた以上のもの」が自分に戻ってくるのです。
自分が知っている情報や、持っている人脈などを勿体ぶらずにそれを探している人に「何の見返りもなし」に教える。ただそれだけのことで、あなたの周りでいろいろなことが動き出し、愉快なことが始まります。まったく自分に実力がない私が、何とか前の会社で生きてこれたのも、これを続けてきたおかげなのです。実際のところ、そろばんずくでそんな振る舞いをしてきた訳ではなく、ただ、それしかできなかったというだけなのです。社内外のたくさんの人といろんなことを一緒に考えて、楽しかったなぁ。
ほぼ現役を終えた私には、もはや決められた役割を果たす以外に「誰かに何かを与える」ということはできなくなりました。それに誰も私に「何か役に立つこと」を期待することもありませんしね。みんな、今のうちですよ、どんどん与えることで幸せな時間を過ごせるのは。
さて、そんな無力な私ではあっても最近やっと「できること」を見つけました。それは「誰かの味方になる」ということなのです。それも「正義の味方」ではなく、「ちょっと旗色が悪い人の味方」になることです。そう、その人が責められたり、咎められるに値する何かをしたとしてもです。
まぁ、こんな無力なオジサン、もといオジイサンですから、大音声を発して「拙者、そなたに味方するぞ」などと見栄を切ることはしません。ただ、その人を責め立てる大勢の人たちには与せずに、普通にその人と接するというだけなのです。例え何があったとしても、その人の人格までを否定することはないじゃないですか。同調圧力へのささやかな抵抗です。
たまにしか行かない職場ではありますが、最近ミスの続くメンバーに何かと風当りが強いのです。しかも、たまに行く度にそれが厳しくなっていく様にも思えるのです。実状がよく分からないこともあるのですが、私は「普通にその人と接する」というスタンスを取ることにしたのです。頼りないけど、一応味方なんだよ、ということで。
人間、追い詰められると後で後悔する様な行動や判断を取ってしまうことが多々あるのです。オジサンだからね、そのあたりのことは自らの失敗でよく分かっているのです。
さて、「誰かの味方」ということに関連するアンケート調査を見つけたので一緒に眺めませんこと。
※出典:さぶろぐ 悩んでいる時好きな人から言われたい胸キュン台詞!(2022.2)
※n=150、回答者10代以上(女性119名、男性31名)
<悩んでいる時好きな人から言われたい胸キュン台詞>
1位_何があっても味方だよ、2位_無理しなくていいよ、3位_そばにいるよ
くーっ、これは言うのに照れるなぁ。結構に若い人の回答が多いのかも知れません。さすがに中高年になって、困った様子の奥様に「どうしたの? 何があっても味方だよ」なんて言った日には「当たり前でしょ、何考えてんのよ、馬鹿なの?」と新たな争いが勃発しかねません。
まぁ、多少なりともシンパシーを感じ合う仲間が困っていたときには、このアンケートの回答の様な思いを「さりげなく」相手に伝えたいところです。
味方って嬉しいよね、贅沢を言えば強力な援軍が欲しいところだけれど、どちらかと言えばこちらが助けてあげる立場にある小さきもの、弱きものであっても、静かに寄り添ってくれているだけで大きな勇気になる。
誰かと対峙してしまう「当事者」になることは幾つになっても、何をして生きていてもどうしても避けられないことです。そんなときに「誰かが味方」でいてくれたら、争うことの苦しみも少しは安らぐと思うのです。「それはお前が悪いんだよ」なんて理詰めで説教をされても、自分が100%正しい、一点の非もない正義ではないことなど本人が一番よく知っているのです。さぁ、一息ついて、一番よい決着にたどり着くことにしましょう。私はあなたの味方です。