今朝起きたら、取り敢えず熱はなくて、咳も昨日に比べるとそんなに出ることはなく、何とか無事に年末年始に突入することができそうです。よかった。とにかく、今日は完全にオーバーホールで、何もせずに一日を終えました。年賀状を少し書いて、親戚の子供たちにあげるお年玉をポチ袋に入れたくらいですよ、やったことは。
さて、今年も残すところ後、数日となりました。今年は「私自身」については、何ら問題もなく、健やかに過ごすことができた一年でした。仕事も順調、血圧高めだけど健康も問題なし、預金は減り続けていますが一応は「想定内」。
ところが、今年は一緒に暮らす家族(カミさんと愛猫)の健康面で、それぞれ大変なことがあって、「老い」と「別れ」について何度か考えた一年でした。結果、今はふたりとも「全快」の様子で、安心をしているんですけどね。
カミさんは5月?に健康診断で肺に病巣らしいものが見つかって、7月の初旬に検査入院をして、7月の末には手術をしたのです。手術は無事に成功して、数日して退院して家に戻って来れたので、とにもかくにも「ホッ」としました。
この入院・手術に際して、一番記憶に残っているのが、手術直後にまだ全身麻酔も解けぬ状態で病室に戻ってきたときのカミさんの表情だったのです。とにかく「皺だらけ」で、思わず「これは誰ですか?」病院の人たちに聞いてしまいそうになりました。前日から食事をとっていなかったとは言え、余りの変わりように唖然としてしまいました。
翌日以降は病院食もきちんと食べ、数日で「普段の表情」に戻ったのですが、手術の大変さと共に、カミさんも年を取ったんだなと改めて思ったのです。そう思う自分も十分にオジイサンですけどね。
手術以来、しばらくは「行き止まりの坂の上」にある我家まで重いモノを持って帰ってくることができませんでしたが、今は余程のモノ(米とかペットボトル飲料とか)以外は自分で持ち帰れる様になりました。手術前は最悪、家から一歩も外出できない生活になることも覚悟していたので、今は本当に神さまと病院の方々に感謝をしているのです。
それから、愛猫が9月末~10月頭に掛けて、体調を崩してしまい、1週間程ずっと下痢が続いたのです。人間と違い、猫ちゃんは喋れませんから「どこが痛い」とか「どう辛い」とか教えてくれないのです。しかも、人間と暮らす生き物は「元気なフリ」をするのが常なので、本当はどんな状態なのか、相当にヤバイのかが何とも分かりません。
病院に数回行き、何度か薬を出してもらい、その後何とか回復し、今は以前よりもパワーアップしている感すらあるのです。よかった。本当にあのときは心配しました。このまま虹の橋を渡ってしまうのではないかと悲嘆に暮れて、眠っている愛猫の顔を見て、「ありがとう」などと言ってしまった程でした。
とは言っても、この子も人間の年齢にすると50歳を過ぎた頃なので、だんだんと運動能力が低下し始めているのです。特に高いところへのジャンプができなくなりました。何度か手痛い失敗をして、本人もそれを自覚したらしく、いつしか大好きな「高いところ」に行かなくなってしまいました。
それで、今は家中の「高いところ」の前に、高さ40cm程度の愛猫でもカンタンにジャンプできる台を順次設置中なのです。つまり、先ずはここに飛び移り、そこからもっと高い所へと移動するという「ベースキャンプ」計画を進めているのです。この子は賢いので「台」があれば、その意味を瞬時に理解し、使ってくれます。得意げに「ポン、ポーン」と二段ステップで高い所まで駆け上っていきます。よかった。
この世の万物には「老い」と「死」があって、「別れ」があります。そんなことを改めて気付かせてくれた一年でした。
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今年も近所のおそばやさんで、年越しそばのテイクアウトの予約をしてきました。もう十年以上もこうやって、毎年大晦日のお昼には、このお店のおそばを食べているのです。私も年を取りましたが、お店のご主人も随分と年を取って、何だか小さくなってしまいました。お互いに元気でいましょうね。