子供のころに持っていた「年配者」のイメージというのは、どっしりと落ち着いて、分別があって、経験に基づく知識と知恵があって、家族の意思決定において最大の影響力を持つ、そんな畏れ多い存在であったのです。それを思うと、今の私ときたら、いい年をしてまったく成熟も、老成もせず、ひたすらにテレビやネットに氾濫する情報に踊らされているばかり。何だか「がっかり」です。
私が「子供」だった頃、昭和45年(1970年)、日本人男性の平均寿命は何と69.31歳だったのです。これが2020年では81.64歳となり、この50年の間に12年も伸びています。今60歳だとして、後10年と考えるのか、後22年と考えるのか、大きな意識の隔たりがあります。人生の後始末として、残りの期間で為すべきことは変わらないのですから。
昭和45年(1970年)、多くの会社での定年退職は55歳で、このときの年金受給年齢は60歳。退職金は「目減りを続ける今」に比べて相対的に多かったとは言え、今と同様に収入の途絶える5年間、何とか糊口をしのぐ必要があったハズです。そうすると呑気に隠居などという訳にもいかず、定年退職後も何かしら仕事を見つけて働いていたに違いありません。60歳で仕事を止めても、残りは10年もないと言うのに。
今盛んに論ぜられる「老後を如何にして充実させるか」といった贅沢なテーマは当時、まだ、存在しなかったのではないでしょうか。老後は人生のおまけで、退屈でつまらないものと誰もがそれを従容と受け入れていた様にも思うのです。そもそも充実させるも何も、時間がありません。それに、今よりもずっと体力的に劣っていましたしね。昔は「70代」でも死因が老衰なんてあった様に思います。今じゃ「70代」で亡くなると、「まだお若いのに…」などと言われるというのに。
そんな慌ただしく、面白くもない日々で、昔の人たち、と言っても私たちの祖父くらいの世代はどうやって「立派な年寄り」になれたのでしょうね。いい年をして幼稚な自分のことを考えると何とも不思議に思うのです。「自分のお終い」を明確に意識できるタイミングが来たら、自ずから変わっていくものなのでしょうか。いつまでも「若いつもりでいる」、最近では何だかそれが恥ずかしいことの様に思うときがあります。きちんと年をとって、きちんと「年配者」になる。難しいものですね。
昨夜は家庭菜園のエダマメを茹でて、晩酌のハイボールのお供にしました。おいしいなぁ。いよいよ収穫も最終盤となり、残りは3回分ぐらいとなりました。随分と心配させたり、楽しませたりしてくれました。エダマメの神さまに感謝です。そして、後10日もすれば、いよいよトウモロコシの収穫が始まります。