UFOも、ネッシーも、ノストラダムスも、古代文明も、みんな中高年の友達でした。最近はテレビでも滅多に会えなくなってしまいました。心配しています。このブログを読んだら連絡を下さい。

デジカメやスマホがこれほどに普及し、かつてに比べたら、人が「神秘的なもの」を撮影できるチャンスが格段に増えたにも関わらず、世間を騒がせる様なスクープ画像が撮影されることは殆どどころか、まったく無くなってしまいました。雲、猫、料理、ケーキ、お弁当、鉄道は大量に撮影され、SNSに投稿されており、その存在が確認されていますが、UFOや幽霊はもはや絶滅状態です。

あんなにオカルトにすり寄っていたTV局も最近ではすっかりお見限りです。たまにオカルト関連の特集番組があっても、「これは本当はこうなんですよ」というニセモノ、トリックの種を暴くものばかりです。かつては緊急特番だったものが、今ではお笑いバラエティのネタに降格です。

いくら中高年が子供の頃にオカルト番組がたくさんあったからと言って、当時小学生や中学生だった中高年がその内容を頭から信じていた訳ではないのです。馬鹿にしてはいけません。

私たちは番組の意図を汲んで『写真に写っている「まるで糸で吊られている様にみえる灰皿らしきもの」はUFOである』として高度な脳内処理を行い、大の大人が用意してくれたTVプログラムをきちんと創作物であると分かった上で楽しんでいたのです。この国の古典芸能を鑑賞する様に、私たちは「様式美」を理解し、愛していたのです。

そして、かつての子供たちが中高年になった今、私たちは身近なところでオカルトに再会し、何とそれが真実であったことを知るのです。

会社の会議中に宇宙人に頻繁にさらわれてしまい、その間の一切の記憶が消されてしまいます。予知能力が覚醒し、大体の悪い予感は的中します。人事異動においては怪談が絶えず、また、近頃流行りの陰謀論までが囁かれます。テレワークにおいては謎の回線障害が起き、突如画像や音声が途絶えたり、また、一方では人型の未確認生物が背景を横切ったり、ノートパソコンのキーボードの上を猫に似た生物が通過、ときにはそこに滞留します。

「夢見る頃を過ぎても」(When I Grow Too Old to Dream,1934)というジャズの名曲がありますが、中高年にとっては「1999年7の月を過ぎても」なのです。
いつかまた、UFOやUMAや未来人や予言者や透視能力者や地底人や火星の生物や心霊写真や水晶のドクロやバミューダトライアングルなどが、親しげに私たちの目の前に姿を現してくれる日を待っているのです。

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