もうさっぱり流行なんてものが分かりません。それでも10年程前まではワイシャツの襟の形がどうだとか、ネクタイの太さがどうだとか、革靴の先端の形がどうだとか言っていた様な気がしますが、いまでは「どうでもいい」のです。世の中や自らの境遇に嫌気がさした訳でもないのですが、どうしたものでしょう。これが「老化」というものかしら。
昔は国民的ヒット曲やら、国民的ベストセラーなどというものがあり、なめ猫やらエリマキトカゲやらというおかしなブームにみんなが乗っかったものですが、最近はそんなもの、とんと思い浮かびません。
2021年の流行語大賞のトップ10は「ジェンダー平等」「うっせぇわ」「親ガチャ」「ゴン攻め/ビッタビタ」「人流」「スギムライジング」「Z世代」「ぼったくり男爵」「黙食」「リアル二刀流/ショータイム」だそうですが、流行っていたどころか、知っている言葉すら殆どありません。流行語大賞の発表で「新しい言葉」を知るのです。私は自分が気付かないだけで、どこかの山奥で一人暮らしているのでしょうか。激しく自らの存在を疑うのです。
※出典:現代用語の基礎知識選 2021ユーキャン新語・流行語大賞
本当は「流行」と呼べるものが今もあって、私だけが取り残されているのか、それとも価値観の多様化やら、ネットによって時空を超えた膨大な映像や音源が「自分の好み」に従って無限に経験できる様になり、「流行」自体が消滅してしまったのか。まぁ、どちらにしても私の周囲から「流行」がいなくなってから久しいのです。
きっと、流行というのは若い人たちのもので、「みんなでわいわい」と同じ時代を生きていることを楽しむために必要なものなのです。だから、今の私が「流行」を感じられなくなったのは当然のことなのかも知れません。
なんでしみじみとこんなことを書いているかというと、ここしばらく「都心の繁華街」にある職場に通っているのですが、街歩けば「若い人」ばかり。しかも、みんな自由気ままな服や髪型、髪の色をしていて、二人と同じ格好の人はいないのです。
けれど、彼らの間では、今も「流行」があり、それに則った「最前線」のスタイルで街を闊歩しているに違いありません。哀しいことに、寂しいことに、私にはそれが見えない、分からないのです。まぁ、無理もない話です。彼らは40年も前の私たちなのですから。