父母を連れて見に行った「つくば万博」(正式名称:国際科学技術博覧会)のことを、今も時折思い出すことがあります。開催は1985年のことでしたから、来年であれから40年になります。
Amazonやらオークションサイトで「つくば万博」とワードを打ち込んで検索すると、これでもかという程に当時売られていたキーホルダーやらマグカップやらが出てきます。しかも、それなりに「いいお値段」です。変なキャラクターのキーホルダーが4,000円とか。
あの頃を懐かしんで、「時のかけら」みたいなものを手に入れたい人もいるんでしょうね。そういう私も「つくば万博」の記念硬貨(500円)を10年くらい前に買って、今も小銭入れにお守り代わりに入れています。会計のときにうっかり出してしまうと、お店の人に「?」という顔をされますけれど。
ときどき家の中に「これは何のためにあるのかしらん?」というものがあったりします。例えば、私の作業部屋のイスの下に100cm×150cm位の大きめのビニール製のマットが敷かれています。随分と汚れてきたので捨ててしまおうと思ったのですが、何故ここにこれを敷いたのかが思い出せません。
これを敷いた理由を思い出せないと、うっかりこれを捨てる訳にもいかず、あれこれ考えた結果、どうやらこれは「愛猫がフローリングの床に直接寝ると冷たかろう」と思って敷いたという答えに辿り着きました。
どうして、すぐに思い当たらなかったかと言えば、家の子、最近はこのビニールマットの上で寝ないからです。ここ半年くらいはタンスの上や、お手製で作った中空のキャットウォークの上でゴロゴロしているのです。本来、猫は高いところが好きですからね。
また、床で寝るようになるかも知れませんが、そのときはまた新しいものを買ってあげることにして、随分とよごれが目立つ様になったビニールマットは捨ててしまうことにしました。
とかく、何かの目的があって始めたことや、意思決定をしたことであっても、そのベースとなったもの自体は既に失われているなんてことが多々あります。しかも、そのことをすっかりと忘れていたりする。けれど、そのことが導いてくれた現在に今は生きているのですから、何だかとても不思議な気がします。
それに、そもそも「正しい選択」なんてできた試しはないので、その場その場で「誰かのため」や「何かのため」に決めたことを積み重ねていくしかできません。そうか、私の人生というのはひたすらに「そのときの何か」に流されていただけだったのか。それでいいじゃん。
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流石に随分と涼しくなってきたので、今日は衣替えをしました。今年は随分と長い間「半袖」のお世話になりました。家の中ではまだ「短パン」は履いていますけどね。