土日の昼食は、私が用意することになっています。手が込んだものは作れないので、近所の美味しいパン屋さんで買ってきたパンでサンドイッチを作ったり、生麺とスープを買ってきてラーメンを作ったり、乾麺の蕎麦をゆでたりと、そんな程度のもので誤魔化してしまいます。
時折、何も買わずにお昼になってしまうという危機に陥ることがありますが、そんなときは昔ながらのインスタントの袋麺で凌ぐことになります。子供の頃からずっと食べてきた味が体に沁み込んでいて、いつも同じ種類のものを買ってきてはストックしているのです。サッポロ一番 塩ラーメン、各所の人気ランキングで常に一位に輝く国民食です。
野菜などの具をトッピングしても美味しいし、何なら「具なし」でもいけてしまいます。まぁ、カミさんも一緒に食べるときは、ゆで卵や冷蔵庫に眠っている野菜を炒めて載せたりはしますけどね。ちなみに明日の昼食はメロンパンです。だって、パン屋さん、他のものは全部売り切れていたんだもの…
さて、若い頃とオジイサンになった今、いろいろと変わってしまったことがあります。特に週末、休みの日、業後といった「自由時間」に関する考え方が、180度変化してしまいました。昔は「自由時間」に何かイベント、楽しいことがなければ気が済まなかったのですが、今では「何もない」ことが最高の幸せだったりします。
勿論、たまには人と会う、どこぞの催し物に出掛けるというのも悪くはありませんが、特に何も用事もなく、家や家の近くにいて、何やらゴソゴソとつまらないことをやっているのが幸せなのです。どうして、若い頃はあんなに「自由時間」を何かで埋めようとしていたのか、今では皆目見当がつきません。きっと、何かのウイルスに感染していたのです。
今まで「当たり前」にやっていたこと、習慣となっていたことを止めてしまうと、どうしても昔はあんなことがしたかったんだろうと不思議に思うのが常です。例えば、丁度1年程前にほぼ毎日飲んでいたお酒を止めたのですが、今では「よく毎日お酒を飲めたなぁ」と呆れてしまうのです。
だんだんといろいろなことを止める、フツーに暮らす以外の欲が無くなる、自分を褒めて欲しい/認めて欲しいと思いもしなくなる、そして、それが「年を取るということ」かと気付くのが増えた気がします。今の私は、結構にこういう「心の老化」を楽しんでいるのです。そこには「こうあるべき」も「こうなりたい」もないんですけどね。ただ、「そうなる」だけ。
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毎度毎度「おくすり手帳」を薬局に持っていくのを忘れます。薬局では「後で貼っておいてね」とシールをくれるのですが、そのシールも無くしてしまうことが多く、私の「おくすり手帳」は不完全な内容だったりします。
それでも何も困ることはないよと思っていたのですが、数年前に転職した際に新しい勤務先から「お薬手帳のコピーを提出してね」と指示されたことがあって、慌てて、いつもの薬局に行ってシールの再発行をしてもらったことがありました。
あれって、「こいつ、ちゃんと持病対策に薬を飲んでいるんだろうね」という確認だったんでしょうか。後にも先にも、そのとき一度きりなんですけれど、世の中では普通のことなんですかね。分かりません。