アメリカのTVドラマ、特に犯罪捜査モノが好きで、配信サービスでよく見ているのですが、一つだけ、「これは要らないな」と思うものがあります。それは登場人物の「恋愛」に関する設定です。すぐに同僚の誰かとそういう関係になってしまって、それを軸にしたストーリーが展開されるのです。

こっちが見たいのは「それ」じゃないんだよな。これが始まると私なんか、すぐにそのエピソードを「飛ばして」しまいます。犯人が犯罪に至る背景とか、事件の真相とか、逮捕に際しての息詰まる逃走劇とか、時には銃撃戦とか、そういうのが見たいんだよね。ひたすら、こういう殺伐とした内容のドラマって無いのかな。まぁ、ひねくれたジジイくらいしか見ないだろうけれど。

年末の宝くじ、末等(300円)×1枚しか当たりませんでした。10枚買ったのですから、当たり前です。だから、正確には「一枚当たった」ではなくて、「ハズレた」なんですけどね。今年は何だか「当たりそう」な予感がしていたのですが、残念です。はずれると思って、くじは買う人はいない訳で…

それで、思えば、「宝くじ」を買ってからの数週間、それなりに「見返り」を求めて、善行?を積んできたのです。お正月飾りをきちんと飾る、家の前をキレイに掃除する、愛猫に尽くす、カミさんの言うとおりのことをする。

宝くじの神様はそんな私の浅はかな下心など、全部お見通しで「見返りなんか無いんだよ、だって、『くじ』なんだからさ。不平等で不公平、因果などまったく無視。そういうものなんだぜ」って、笑っていたに違いありません。それに何と言っても「付け焼刃の善行」ですからね。まったく、身勝手で、脳天気なものです。

そんな自分に呆れていたら、普段の暮らしにおいても、ついつい「見返り」を求めていることに気が付きます。まったく打算など無しに「そうした方がいいと思ったから」なんてことは、本当に少ない様に思うのです。以前のエントリでも書きましたが「覚え目出度き」なんて振る舞いは、正に「見返り」を求めてのものですしね。

逆に、あからさまに「これの見返りにあれが欲しい」なんて、そろばんずくの方が「清々しくて」よいのかも知れません。人知れずやっておくから、それとなく感じ取って、後で何かお返ししてね!なんて気持ちだと、いつか「疲れ果てて」しまう様な気もします。イイ人ほど、こういう自滅のループに嵌ってしまいそうです。

だから、見返りも何も考えず、「だって、自分ではこうしたかっただけだし、何となくこうした方がいいと思ったんだよね」なんて、天然で、何も考え無しの振る舞いができれば、それに越したことはないんでしょうね。まぁ、そんな生き方にまで到達できたなら、もはや仙人の如くですけれど。

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14時過ぎに、お墓に新年の挨拶に行ってきました。何かの節目で行くところがあるというのは、本当にありがたいものです。「向こうでも元気にやってるかい?」と墓石の前で父母に尋ねたら、「そんな心配はいらないから、お前はまだまだ一所懸命頑張らなきゃいけないよ」と言われた様な気がしました。

「じゃあね、また来るから」 後数日で長い休みも終わりで、また、騒々しい普段の日々が戻ってきます。

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