今日(2/23)はまた、強烈に寒い一日でした。連休の初日で、ダラダラと過ごしてから、図書館に行き、夕飯の材料とケーキを買って家に帰りました。今日は私が「上海風ヤキソバ」を作ります。ヤキソバが不評だったときの保険がケーキという作戦です。

とにかく「新しいもの」が売れるのだ!とよく言われます。確かなデータがある訳ではありませんが、発売される新商品の中で生き残れるのは4%程度だとか。何となく「そんな感じ」がします。

私もお店で「新商品」を見掛けると、それまでのものから浮気をして、つい、それを選んでしまうことがありますが、大体のケースで「二度と買わないよ」などということになってしまいます。長く平和で安定した時代が続き、すべての事物が「飽和」の状態にあります。

素材の分野では今も日進月歩、素晴らしいものが生み出されていて、こちらが知らぬ間に、それらを使うことで、「それまで」が画期的に素晴らしいものへと日々入れ替わっていることでしょう。けれど、目から鱗が落ちたよ!みたいな「新しいモノ」には、もはやお目に掛かることは(殆ど)ありません。

これって、音楽、絵画、文学といった芸術の世界でも同じことで、どこかで誰かが「私はこれが素晴らしいと思う!」という未知の「新しいよきもの」を提示する。これが人々の心に驚きを与え、愛着を感じさせると、これが長らくテンプレート/下敷きになって、世界がそのバリエーションで満たされていく。それは、ずっとずっと昔から。

確かに「技術」は高度になり続けますが、それはあくまでも「テンプレート」上に咲いた花の様なものだったりします。最近よく若い人たちが使う表現に「原点にして頂点」というものがありますが、よく本質を突いている言葉だなと感心しきりです。

「特異な才能を持った人」がいて、かつ、それを世界が知るという偶然が重なって、ようやく私たちは「新しいよきもの」に出会えます。それは何十年に一度、場合によっては何百年に一度なんてこともあるのでしょう。

もし、そんなものに運よく出会えたら、それをキチンと受け取れる様に、ワタシ自身が古びない様にしていないといけません。顔をしかめたり、排斥をしたり、試しもしないで否定したりしないでね。だから、今日、新しいスナック菓子を買ってしまったことを責めないでね。

****
まぁ、残り時間も少なくなってきたので、もっぱら「温故知新」でもいいんですけどね。行ったことのない名勝も、食べたことのない名物料理も、知らないロックの名曲も、読んだことのないミステリの古典も、くらくらするぐらい沢山残っていますからね。

***
ブログランキングに参加しています。よろしければポチっとお願いします。やる気がでます。