週末、すごい雨でしたね。はじめて「線状降水帯」というのを体験しました。私が住む東京郊外の地域でも一時は「避難所」が開設されました。私の家は坂を上り切った高い土地にあるので、他の災害はともかく、「雨」には心配がありません。その分、普段は、坂道を息も絶え絶えに上っていますけどね。
生きているといろいろと辛いこともあって、そんなものを数え上げてはいられませんが、最近、特に「これはイヤだなぁ」「辛いなぁ」と考えるものがあります。それは「自分の今をそのままに話せない」ということです。
それは「失敗をしたから」「今、上手くいってないから」といったことが原因ではなく、「自分がしたいことをしていないから」なのだと思うのです。したいこと、好きなこと、納得できることをしているのであれば、結果に恥じる必要など微塵もないのです。
本当はしたくもないことを、何かの打算に基いて選択してしまう。そんな場所では、何をするにしても「それはXXのため」とか「辛くっても我慢」とか「そんなに世間は楽じゃないよ」とか「あいつに比べればマシ」などと呪いの言葉を吐いて、毎日をやり過ごしていく。
きっと、多くの人にとって、ある時期はそんな日々を過ごすことが「必要」なのだと思います。そのことで「高貴な精神」が人の中に育まれるのも確かなのです。けれど、若い頃ならいざ知らず、もうそろそろ、そんな思いをすることは、私にはできなくなってきました。
今? こんなことをしてるんだよ。昔から、やってみたかったんだよ、これ。まぁ、上手くは行っていないんだけどね、あはは。そんな風に、誰にでも、どこででも、自分の「今」をそのままに話せる。当たり前のことなんですけど、それが一番大事なことだな、とつくづく思います。
これから、しばらく「お休み」をして、それからリセットボタンを押して、リブート(再起動)する前に、そんなことを考えました。別にリセット前の「今」が不幸な訳ではないんですけどね。けれど、少し「言い訳」をしちゃうんですよね、「今の自分」を話すときに。
6/1に収穫を解禁した我家の「ラディッシュ」ですが、思ったよりも育っていて、激しい雨で収穫ができずにいた間もすくすくと育ち、今日の昼間に収穫した際にはピンポン玉大の巨大なものが家庭菜園にひしめいていました。
このまま放置すると「パカッ」と割れてしまうので、これからせっせと食すことにします。ざっと見たところ、まだ200玉以上もあります。「浅漬けの素」に数時間浸したものが絶品です。