今日(1/11)は午前中に、血圧の薬をもらいにかかりつけの先生のところに行きました。それで、順番を待っているときに鼻がムズムズして、くしゃみを3連発したのです。勿論、マスクはきっちりとしていたし、くしゃみをするときもマスクの上から手で押さえて「できるだけのこと」はしたのです。

そうしたら、長椅子で私の隣に座っていた70歳程度のオジイサンが突然立ち上がって、私をちらっと睨んでから、別の椅子に移動して行ったのです。感じわる~。まぁ、それらしいことは自分でもするけどね。

さて、お正月休み明けの一週間、職場ではとにかく「締切」に次ぐ「締切」で、数えたら6つも「締切」があって、それを何とか無事に、何一つ落とすことなくコンプリートすることができました。よく終わったよ、本当に。これ、私にとっては「とてつもなく幸せ」なことで、最高の気分で今日からの3連休に突入できたのです。

よく考えれば「楽しいこと」があった訳でも、「幸運」や「感動」があった訳でもないんですよ。だから、自分にとって「プラス」のことがあったのではなく、「締切」を落として、どこかの誰かに迷惑を掛けなくて済んだということで「マイナス」が無かったというだけなのです。「出来て当然」と言えば、そうなんですけどね。それでも、うれしい。一体、この「うれしさ」はどこから生まれてきたものでしょう。

それで、機嫌よく3連休を迎えて、今日は15時過ぎに用事を足しに街に出て、凡そ1時間、「為すべきこと」をやり続けました。クリーニング屋さんに行って、銀行に行って、調剤薬局に行って、図書館に行って、100均に行って、ドラッグストアに行って、最後に再びクリーニング屋さんに立ち寄って「洗濯物を引き取って」家に戻りました。

やらなきゃねと思っていたことを、こちらも何も漏らすことなくコンプリードできました。ずっと立ったままで、足がぼーっとしたのですが、とても満ち足りた気分になったのです。この満足感も一体、どこから生まれてきたものでしょう。

自分探しの旅ではありませんが、人は「何がうれしい」という自分の性質を正確につかむことができれば、かなり幸せな時間を増やせる様に思うのです。私の場合は、それが「コンプリートする」(きちんと完了させる)ということらしいのです。

誰でも、やるべきことをきちんと終えることができればうれしい訳で、これはきっと、私に限ったことではないのでしょう。自分ひとりの力でそれを成し遂げられる訳ではないにせよ、きちんと「これで完了!」となんて思えるものがあることに取り掛かっていられるのって、本当に幸せに思えるのです。勿論、これを無事に終えることが大事ですけれど。

いわゆる「達成感」って奴ですかね。これから、年老いて、これを感じることができる機会が段々と少なくなっていく。無理をしてでも、こじつけでも、そういう「状況」を作ることが「私にとっては」大事なのでしょう。それは、仕事でも、日常でも、どこででも。そんなことが「よーく」分かった様な気がします。

他人から見たら「そんなツマラナイことで達成感を得ても仕方ないよね」ってことなんでしょうけれど、そんなことどうでもいいんですよ、私はどんなことでも「何かを完了させた」と思い込めるのが、何よりもウレシイのですから。

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愛猫に新しいテイストのちゅーるをプレゼントしました。食べてくれなかったらどうしよう?と心配をしていたのですが、見事に杞憂に終わり、ペロリと一本を食べてしまいました。よかった。まだ何本もあるし、それが無くなったら、次も、その次も、ずっと買うからね。猫ちゃんのいる家はどこでも、こんな感じなんでしょうね。「ネコノミクス」恐るべし。

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