全部が全部あてはまる訳ではないのに「XXXの鉄則」「XXXの法則」みたいなものを読むのが好きだったりします。「人前で人を叱ってはならない」とか「人は見た目が9割」とか「全体のうちの大多数を一部が占めている」(80:20の法則)とか言ったものです。
もはやこんなものとは無縁な世界の住人なのに「へぇー」とか言って、図書館で借りた本を斜めに読んでいたりするのです。特に根拠も何もなくゴロリと転がっている「宇宙の法則」みたいなものにひかれます。「だって、理屈じゃなくて、そうなんだもん!」という奴です。
こういったことを学問として研究しているものが「行動心理学」なのだそうで(間違っていたらゴメンナサイ)、最近読んだ本に、ふむふむといったものを見つけたのです。それが、このエントリのタイトルである「努力を振り返るとやる気が下がる」という訳です。
自分が成し遂げたことを振り返り、「オレ、頑張ったよね」などと涙ぐむと何か別の欲求が抑えられなくなってしまう、これを「欲求の解放」というのだそうです。ダイエットして、目標だった5kg痩せることに成功すると、今まで満たされなかった「食欲」が爆発してしまうということです。うん、分かる分かる。
こんなことが起きない様にするには「そもそも何でそんな努力をしていたのか」という当初の目的を忘れないことが重要なのだそうです。けれど、こういう「たゆまない努力」とそれを支える「強い心」というのは、中高年には「ちと厳しい」訳です。それどころか、すぐに自分にご褒美を出してしまうのです。
それで、私はこう考えることにしたのです。「努力を振り返ってやる気が下がる」くらいが今の自分には丁度いいんだって。それはもう急ぐ旅をしている訳でもなく、更には「やる気がある中高年/高齢者」というのは、それだけで「危うい存在」だと私は思っているからです。文字通りに「危険な存在」。
法務省の犯罪白書によると、高齢者(60歳~)の刑法犯の罪名として「傷害・暴行」が1989年の2.9%から、2018年には13.5%まで増えているのです。30年間の間に元気な高齢者が増え、いろいろなところに繰り出す様になると何と暴力事件の比率が5倍弱まで増えたのです。「元気があってよろしい!」なんて不謹慎なことを言っていられないのです。このブログでも「年をとると脳が萎縮して“怒り”の感情が抑えられなくなる」と何度も自戒のために書いているのです。
思い当たる節がありません? 自分の頭の中で「懲らしめてやる」という極めて不寛容な感情が沸き上がることがあるのを。今ですら、毎日の様に「高齢者による暴力犯罪」がマスコミで報じられるのですから、これからますます高齢者が増えたら、一体どうなるのでしょう。
やる気がある、血気盛んな中高年や高齢者ほど怖いものはないのです。諸兄もお気をつけ下さい。いい年して「暴力事件」の加害者になるのは、これまでの生き様を全部台無しにしかねません。くわばらくわばら。
そんなこんなで、何か小さいことでも「成果」が出たら「努力を振り返って脱力する」、次に「何かやろう」という思いが自然に生まれるまでは、当面ヘラヘラしていようと私は思っているのです。ここしばらくのエントリでも「自分にできることをする」「一度にひとつのことをする」みたいなことを書いているのも、同じ根っ子からの発想なのです。40kmくらいで巡行するって感じです。
何ヶ月も掛けて、ようやく4月末に「随分頑張った、努力して終わらせた」ことを、今は「大変だったね」と振り返っている最中なのです。この一ヶ月で、結構考え方、変わりましたもの。
一休さん曰く「あわてない、あわてない。一休み、一休み」。 流石だ。