先ずは3年間辛抱しろ、できない理由を探すなといった教えがある一方で、好きこそものの上手なれ、無駄な努力はするなという考えもあります。どちらの考えにも「納得性」があり、うんうんと頷いてしまいます。どちらの考えに乗っかって「自分の答え」を出しても、それが正しかったか否かは「その後の自分のがんばり」に掛かっています。まぁ、自分で決めることのできる未来があるだけで「幸せなこと」なんでしょうけどね。

何となく「前者」の方が世の中的には「立派な考え」「正しい考え」の様に思えます。けれど、それは果たして「時間がない」「(恐らくは)これから何者にもならない」中高年にもあてはまるかと言えば、そこは少し「戦略」を考えなきゃねと私は思うのです。勿論、せっかく始めたことの「本質」「面白さ」も分からないままにちょっとしたことに嫌気をさして、放り出してしまうのはどうかと思いますが。

この国の中高年というのは兎角反省したり、後悔しがちだと思うのです。他所の国のオジサン、オバサンたちがどんなことを考えているかはよく知りませんが、まぁ、何となくです。それで、「自分は失敗した」と自らを責める人の考えの根底に「自分は人並みに辛抱ができなかったんじゃないか」というものが多分にある様に思えます。この国の成功者は皆口々に「若いころは随分辛抱したよ」って言いますしね。

けれど、こんな思いも退職して暫くすると「忘れちゃう」んですけどね。というか、どうでもよくなる。ちゃんと生きてますし、何だかんだと忙しかったりするのです。それに、恐らく真剣に「辛抱しなきゃ」なんて局面にはもう出会えないかも知れません。幸か不幸か。

いえいえ、ありましたヨ。辛抱する時間が。そう、カップ麺にお湯を入れてからの待ち時間です。 ※出典:ねとらぼ調査隊 「カップ麺の待ち時間、どれだけ待つ?」(2021.1)

<カップ麺の待ち時間、どれだけ待つ?>

1位 早め(硬め)287票 / 2位 普通 178票 / 3位 遅め(柔らかめ)108票 / 4位 即(超硬め)55票 / 5位 10分以上 24票

4位の「即(超固め)」なんて食べ方があるのを初めて知りました。お湯を入れたらすぐに食べ始めるのだそうです。熱々のスープとバリ硬の麺、そして、食べている間に徐々に麺の硬さが少しづつ変わっていくのが楽しめるのだそうです。今度、やってみることにしましょう。

昔どこかで読んだのですが、本当はお湯を入れて「3分間」ではなく「1分間」にすることも、メーカーとしては技術的には問題がないのだそうです。「3分間」というのは魔法の時間なんですね。ちょっとしたことならできるし、ただ待っていても大して苦にならない。これ位なら誰だって、幾つになっても「辛抱」ができそうです。

現役を終えて、いろんなものを脱ぎ捨てたら、本当は何も難しいことは考えなくたっていいんですよ。これから何年か、何十年か生きていくための「お金の心配」を時々して、残りは好きな本を読んで、好きなものを食べてね。いいんですよ、これまでの人生の採点なんて。もう、辛抱はやめにして、決断だって「死」にいたるまで先送りすれば。勿論、誰かに迷惑を掛けたり、借金をしない限りね。なんて思う訳です。

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