ずっと寝ていました。それで、随分と眼精疲労が回復しました。ぼーっとして「食べて」「眠って」いれば、生き物はだいたい回復してしまいます。雨は鬱陶しいけれど、気温も下がって、随分と身体も休まりました。
いろんなものが部屋から無くなりますが、実際には見つからないだけです。こういうものが最近、本当に増えました。だから、何でもかんでも、引き出しや箱に、何が入っているかを書いたメモを貼り付けています。
そんなことを以前のエントリで書きました。そのおかげで随分と「無くなったもの」が発見される様になりましたが、今度は、そのメモから「当り」を探し回るのが大変なことになっています。部屋中のメモを見て回って、ようやく「あった!」ということになるのです。
それで、メモ内容のデータベースを作ろうかと思いましたが、何だか馬鹿馬鹿しくなってやめました。少しは頭の中に入れておかないと、もしくは「探す」という作業をしなくなってしまうと、本当に認知症になってしまいます。それに、そもそも「探している」ものときたら、どうでもよいものばかりなのですから。
誰でも、どこの家でもそうだと思いますが、まだ処理が継続中ですぐに取り出す必要な「紙」を「重要ファイル」「大切なファイル」なんてラベルを貼って、保管していたりします。私もそんな風に整理しているのですが、先日、既に処理が終わった古い「大切なファイル」を参照する必要が生じたのですが、これが見つかりません。
「メモ」「ラベル」を頼りに、それらしきところを探したのですが見つかりません。相手が「紙」なので、どこかに紛れてしまった可能性もあり、捜索にも時間が掛かります。結局、丸半日を費やしても見つからず、泣きべそをかいていたところ、デスクからほど近いところに置いてあった透明のビニールボックスの中を見ていないことに気付きました。
けれど、ここには確か古いマニュアルを入れていたハズなので、ダメ元でボックスの中を見たところ、「どーん」とそこに入っていたのです。そう、そのボックスには「メモ」「ラベル」を貼っておらず、これを頼りに探していたが故に見つからないということになっていたのです。
ラベル貼りも、どうせやるなら、徹底してやる。もしくは、自分が「抜けている」「モレテいる」ことを前提にして、対処を進める。とにかく、改めて自分の無能振りに呆れました。モノが好きなので、断捨離には今一つ消極的でしたが、こんなことがしばしば起きる様ならば、断捨離もいよいよすることを考えねばなりません。
これまでも何度も書きましたが、「私の周辺にあるモノ」なんて、私がいなくなったら、すべて、誰かが捨てるだけなのです。いつか、そろそろ近いなぁ…なんて思えたら、引き出しや箱に貼ったメモもラベルも全部剥がして、まるっと何もかも捨ててしまうことにしましょう。もう、選択などせずに、そのまま。何だかすっきりと、気が晴れそうな気もします。
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台風も雨雲もどこに行ってしまったのか、8/30の夜は静かに更けていきます。窓の外では秋の虫たちの大合唱が聞こえます。よい夜です。昼間も寝たけど、また眠くなってきました。