やっと一週間も終わりました。今週は月曜日から職場の同僚の「送別会」があって、それからずっと、仕事の締切に追い掛けられていました。それでも命までは取られることなく、週末の夜を呑気に過ごしているのですから、まずはよい一週間でした。でも、月曜日のイベントはキツイなぁ。
さて、この年(62歳まであと僅か)になると、複雑で、繊細な感情というのは随分と失われるらしく、それ故に「楽」に暮らせるようになりました。それでも、気を付けないといけないのが「してあげた」と「してもらった」です。
「してあげた」というのは相手に対して、勝手に負い目を押し付けるという、とても身勝手な勘違いに他なりません。世の中にはいるんですよ、常に相手との関係性において、こんなことを妄想している人が。
「アイツ、オレがあのとき、さんざんよくしてやったのに」とか「誰のおかげでこれが成し得たと思ってるんだよ」なんて、結構にみんな心の中では思っていたりします。特に男性。相手はそんなこと、まったく感じていないのにね。
裏返せば「だからオレに感謝しろ」とか「オレに報いよ」なんて、禍々しい願望が頭の中に渦巻いているのです。そして、そんな思いが満たされず、それどころか「してあげた」相手に鼻を明かされたりして、勝ってに不機嫌の虫になってしまいます。怖い、怖い。
だから、誰にも「してあげない」に限ります。それ、自分がしたくて勝手にしたことなんでしょ? 見返りも御礼も考えずに「これがよかれ」と自分の心が命ずるままにしたことなんでしょ? そう思考すると、おかしな感情の自縛から逃れられる様に思います。実際、そうなんだしね。
それに「してもらった」も「してあげた」と大して変わらず、困った感情です。世の中、持ちつ持たれつなんですから、何かうれしいことが相手からもたらされても、軽く「ありがとう」と一度言えばいいだけなんだと思っているんですよ、特に最近は。いつでも「感謝」「感謝」じゃ疲れちゃいますよ。
「してあげた」も「してもらった」も、最後は自分を自滅させる恐ろしい意識、感情の様な気がします。そう、「してあげた」、それは「自分がしたいから」しただけのこと。何かカッコいいことを言いましたかね。
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昨日、年金定期便が届きました。何故だか去年に比べて、それなりに年金額が増えていて、まだ貰い始めてもいないのに「ごちそう」を食べたい気分になってしまいましたよ。年金の先食いか…少し気が早いですね。