昨日は近所のカー用品店で車検の相談をしてきました。これまでは車を買ったディーラーで車検もしてもらっていたんですけどね。ここが何とも自宅から遠くて、結構にそれがストレスだったのです。それで、もうすっかり愛車も「大古車」になったことだし、もう、面倒な思いまでして、ディーラーに義理立てるのを止めることにしたのです。

結果、とってもスッキリした気分で、8月のお盆前には車検+タイヤ交換ができることになりました。しかもボロボロになっていたホイルキャップを、アルミホイールに換えることにしたのです。それで、このホイールがかなり派手目で、家の大古車にはまったくそぐわない感じなのです。でも、何だかうれしい。たまには家の子にも、よい思いをさせてあげられるみたいで。

さて、老いることの悲しみはすべて、「間もなくこの世界に別れを告げなければならない」ということに集約されるのだと思っています。「間もなく」が結構に長かったりしますけどね。それでも、それまで生きてきた年月のことを考えると「残りは僅か」に思えます。

厚生労働省が7/26に発表したデータによれば、2023年の日本人の平均寿命は女性が87.14歳、男性が81.09歳となり、前年比で女性は0.05歳、男性は0.04歳延びたのだそうです。現在62歳の私は、平均まで生きるとして、残すところ19年となりました。

19年前と言えば2005年、その時のワタシは43歳。43歳の頃か…そんなの、つい昨日みたいに思えるのです。そう考えると、この厚労省の発表を聞くに、本当に「あと残りも僅かなのね」と改めて思い知らされたのです。

よく「記録に残る」とか「記憶に残る」とか、そんなことを人は話します。みんな、この世に何かを残したいんですよね。「記録」はともかくとして、「記憶」については覚えている誰かがいなくなってしまえば、これもまた消えてしまいます。そんなものですよ。「去る者は日日に疎し」で生きていたって、その場からいなくなれば、みんな忘れ去られてしまうのですから。

けれど、「記憶」からは失われてしまっても、何らかのものが世界に残り続ける様な気もします。ものすごく小さな、砂粒よりも遥かに小さく、計測ができないほどの微粒子の様なものが。まぁ、何かを残すというならば、それで十分に思います。

甲斐性があって財を作って、財産をどこかに寄付したり、自分に連なる子孫に残せれば、確かにそれは自分がやってきたことを「未来」につなげることができることでしょう。その人のことはみんなが忘れてしまった後でもね。「形があるもの」、結構に大事だと私は思っているのです。

それで、自分がいなくなった後のことは、ひとまず置いておいて、自分は残す時間をどう過ごしていくか。それは、過去も未来も考えずに、ひたすらに「今」を生きるだけの様に思うのです。

過去のすべては良い思い出も、辛かった思いもすべて忘れることにする(自然と忘れてしまいますけれど)。未来のすべては「未来」がやってくるまで、あれこれと思い煩わない、夢見たりしない。とにかく現在の自分の周囲に広がる「今」を生きていく。最近はそれでいいやと思っているのです。とても気持ちが軽くなって、目の前がパッと明るくなります。

最後に残るものは「今」ですかね。

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母の日に我家にやってきたカーネーション、再び新しい蕾がつきはじめました。あれれ、花の時期は終わったんじゃなかったの?それに真夏は苦手だったんじゃないの? まぁ、いいや何にせよ居心地がよいと思ってくれたみたいで。

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