音楽を作ったり、絵を描いたり、人の心を慮ったり、こんな「人間らしい」ことまでAIが人間を凌駕してしまう世界が2025年には到来するのだそうです。そして、そこにはAIが世界をコントロールする新しい秩序があり、自然、即ち「デジタル・ネーチャー」が広がっている。

未来を語るメディアアーチストの落合陽一さんがようつべでこれを説明するコンテンツをみて、私たちは正に時代の転換点にいるのだなと思わず息を吐いてしまいました。デジタル・ネーチャーは落合さんが提唱する未来ビジョンで「人・モノ・自然・計算機・データが接続され脱構造化された新しい自然」ということになります。

きっと私の頭ではその真の意味や具体的なイメージはつかめていないのですが、要は人間の考えること、処理・判断すること、創造することはAIによって人間とは比べられない速度で成されることになるそうです。勿論、速度だけではなく膨大なデータに裏打ちされた「人それぞれの独善性」によらない答えが得られる。極端に言えば「知的ホワイトカラーの没落」が訪れる。

労働の価値とは「費やした労力」によるのか、「アウトプットされた成果」によるのか。答えは明白で「アウトプットされた成果」。だとすれば、これから先、人間はAIに勝つことはないそうです。今ですら自然な言葉を変数として与えるだけで、それなりの楽曲が数十秒で作曲できたり、絵を描くことができたり、研究論文ですら僅かな時間で作成されてしまう。当初2045年頃とされていたシンギュラリティ(技術的特異点)は落合さんによれば、相当に前倒しされて2025年に到来するそうです。えっ、再来年ですよ。

意外なことに「肉体労働」、人間の身体を用いた仕事は当面、AIに置き換わるということはないと言います。いろいろな理由はあると思いますが、恐らく一番大きな理由は人間がやった方が安いから。もしかするとホワイトカラーが仕事を失って、「肉体労働」「現場仕事」に仕事を求めて群がる日が来るのかも知れません。

そうなったときに人間の価値はどこにあるのか。落合さん曰く「いい人」なんだそうです。これ、ひどく納得しました。どんな局面にせよ、AIが作った提案内容を受け入れる際に、どこも似たような内容のものなのかも知れませんが、最後は「それを提案してくれた人が好きだから受け入れる」ということになるのでしょう。

これは今でも同じで、「好きな人≒いい人」から提示されたもの、買ったものは、例えそれが失敗であったとしても、「いいんだよ、信じて買ったんだから」と納得ができてしまう。これからの時代で必要なのは、これまで以上に「人間としてどれだけ魅力的であるか、信じられる人なのか」という能力なんでしょうね。何だか不思議な気がします。

いずれ技術進化が人間を凌駕するとこうなることが予想されていて、「説明ができない程の科学は『魔術』」なんだとどこかの本で読みました。科学が理屈や原理原則をもって魔術を駆逐して、その科学が再び魔術になってしまう訳です。まぁ、今でも、身の回りのもののほとんどは自分で原理を説明できないけどね。

それで、そんな世界で、人が仕事をするというのはどういうことなの?と考えると、これは「趣味」なのかということになります。音楽を作る、絵を描くは勿論のこと、論文を書くのも、提案書を書くのも、会計処理をするのも、勿論保険や投資の複雑な計算を行うのも、みんなAIの方がケタ違いに早く、正確で、出来がいい。だから、人間がやることは所詮趣味の世界のこと。

きっと、そのことを受け入れて、どんな心構えで日々に向き合うのか、人間はしばらく禅問答の様な時間を要するに違いありません。そして、そのことをAIに問うならば、果たしてAIはどう答えるのでしょうか。

SF映画の様に人は「デジタル・ネーチャーの維持には不要」とジャッジメントされ、野生として放置されるのか、新しい秩序への隷属を求められるのか、それとも駆逐されるのか。人がいなくなった地球、新しいデジタル・ネーチャーに満ちた地球、きっと静かな世界なんだろうな。

***
ブログランキングに参加しています。よろしければポチっとお願いします。やる気がでます。