コーヒーを飲む時に少しだけチョコを齧りたいのですが、「溶けているチョコ」は美味しくないので、夏になるとチョコを冷蔵に入れて保存しています。これって「脂肪分が固まる?」から味が劣化するそうですが、それでもパリっとしている方がいいですからね。ちなみに「溶けないチョコ」というのもあるんですね、知らなかった。
さてさて、私は日常の中では「正しい場所にいたい」という思いが、常に頭の中にあったりします。誰でも同じだと思いますけれど。そこで、改めて「思い」を整理してみると、そもそも「正しい場所」とは何かということに行き着きます。
これは私の勝手な定義ですから、正解も間違いも、良いも悪いもなく、すべての評価の外側にあることだと笑って下さいませ。私にとっての「正しい場所」とはズバリ、そこにいるときに誰かに「何故ここにいるのですか」と尋ねられて、その回答が相手を瞬間で納得させられるかという点に依拠しているのです。
思いっきりパーソナルなことに、いきなり他人が登場するというのはおかしなことですが、そういう定義で成り立っているのが、私にとっての「正しい場所」ということになります。
幾つか例示することにします。先ずは「お墓」です。父母が眠る「お墓」は私が大好きな場所で、正月、彼岸×2回、お盆、夏休みの終わりの日、命日、年末などと行く理由を見つけては出掛けていきます。その他にも「再就職先が決まった」とか「これから手術」なんてときも行きましたっけ。
「お墓」が「正しい場所」であるのは言うまでもありません。そもそも墓地にいて「何故あなたはここにいるのですか?」なんて、問われることもありませんからね。もし聞かれても「父母が眠る墓があるので」と答えるまでです。これで納得しない相手などいません。
次に「役所」などの行政機関の事務所です。これ、「ここじゃないとダメ」という必然性に伴う訪問なので、ここもまた「あなたは何故ここに?」と問われることもなく、回答も淀みなくすることができて、相手もすぐに納得です。
私、こういう行政機関の事務所に行くのも大好きで、市役所やハローワークなど、ウキウキしながら出掛けていくのです。勿論、用事がないときに行くとなると、これは「正しい場所」ではないことになるので、絶対に行くことはありません。別にハロワが好きなのではなく、そこが「正しい場所」だから好きなのです。
次に「思い出の地」です。これは微妙です。何故なら、数多の思い出の中から何故そこなのか?という自分への問いに先ずは答えなければなりませんし、誰かに「何故ここに?」と問われたら、長い物語を語らなければなりません。まぁ、非日常のことなので「正しい場所」かどうかの判断の外ですけど。
そして「家」です。何の説明も不要で、自分の「家」だから居るのです。自分にとって、絶対の正解です。特に最近はほとんど表をフラフラすることもなく、仕事にゆく時間は別として、極力「非日常」を避けて、「家」でぐだぐだと暮らしています。「家」こそは「正しい場所」ですからね、落ち着きます。
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先週買ってきた「ラベンダー」、小さな蜂が始終やってきます。いい香りがするのかなと思い、花を嗅いでみても何も匂いがありません。人間には分からない香りが漂っているのか、それとも蜂は目視で発見しているのか。蜂に聞くしかありません。