夕方に近所を散歩していると「遠き山に日が落ちて…」という「家路」のメロディが街中のスピーカーから流れ、「そろそろ夕方だから、遊んでいる子供は家に帰ってね」というアナウンスがこれに被さります。16:30、よいもので満たされた家に帰る時間です。

これ、テープ?に不具合があるなのか、途中、気持ち悪く音程が乱れる部分があって、これも含めて「早く家に帰らなきゃ」という気分にさせられます。そして、何故かこのメロディが流れると遠吠えする犬までいます。すべてがワンセットで私の生活の一部です。

「家路」というのはご存知のとおり、チェコの作曲家:ドヴォルザークさん(1841年~1904年)の交響曲第9番「新世界より」の第二楽章主題部に、ドヴォルザークさんの弟子のフィッシャーさんが歌詞を付けたもの(Goin’ Home)です。さらに日本で堀内敬三さんが作詞をしたものが「遠き山に日が落ちて」という訳です。堀内さん以外にもいろいろな人がこの曲には歌詞を付けているのですが、私たちに馴染みがあるのは、この堀内さんによるもの一択でしょう。

ちなみに、日本で人気を二分する「交響曲第9番」というのがあって、それはベートーヴェンさんの「第九」と、このドヴォルザークさんによるものなのです。どちらもその一部を国民の多くが、日本語の歌詞で歌えるという浸透度合いです。片や年末には欠かせない曲で、片やほぼ毎日夕方になれば日本中の至るところで流されるというヘビーローテーションっぷりです。

さて、「遠き山に日が落ちて」の歌詞、特に一番については、何というか、「労働かくあるべき」とでもいうもので、昔からずっと感動し続けているのです。

<遠き山に日が落ちて> 作曲:アントニン・ドヴォルザーク 作詞:堀内敬三
遠き山に 日は落ちて/星は空を ちりばめぬ/きょうのわざを なし終えて/心軽く 安らえば/風は涼し この夕べ/いざや 楽しき まどいせん/まどいせん

特に、これから私が従事するであろう「小さな仕事」においては、正にこんな思いで一日を終え、家に帰っていく、というのが理想であり、すべてだと願っているのです。いろんなことがあったにせよ「きょう」が終わり、きっちりと区切りをつけて、家に戻り再生し、また次の日が始まる。

きっとこれ、長期戦を戦っている現役の人たちには分からない「小さな仕事」の醍醐味なのです。だから、それを思う存分に堪能したい訳です。仕事が終わり、夜が近付いて、街中が少しざわつき始めた頃、家にたどり着くまでに、どこかでビールを飲んで、焼き鳥の1本も食べたくなる、そんな気分です。「よかったね、今日も無事に一日終わったよ」そういうことです。

私、ベートーヴェンさんの「喜びの歌」、ドイツ語で歌えるんです。そう、全部歌詞を覚えているんです。小学校6年生のときに、担任の先生がクラス全員に覚えさせてくれたのです。あれから約50年、不思議と忘れることはありません。先生、どうもありがとうございました。人生で大事なことをすべて忘れてしまっても、最後にこの歌さえ覚えていればいいかなと思ったりするのです。

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