明日(12/19)は東京地方もこの冬一番の寒さで、私が住む郊外の街では積雪の恐れもあるそうです。我家は行き止まりの坂の上にあるので、雪が降るといろいろと困るのです。何せ車が通らないので、いつまでも雪が残ったままなのです。せっせと通販でモノを買って、宅配業者さんを呼び寄せようかな。
時折、「時を巻き戻せたらな」なんてことを思います。誰だってそうですよね。人生にはいろいろなところに「分岐点」があって、その中の一つを別の方向に曲がったら、きっと別の未来が待っている。あぁ、あの角を間違えなければ…
私が望むのは「そういうこと」ではなくて、「或る日」に一日だけ、否、1時間だけでもいいから、私をクレーンでつまみ上げて、そこに放り込んで欲しいのです。そこで、今では絶対にできないことをしたいのです。それは、亡き父母に上手く感謝を伝え、大変だったことを労ってあげたいのです。
父母はそんな私に「どうしたんだお前?」と訝しがることでしょう。「何かしでかしたのか?金が要るのか?」とか問い質し、「怒らないから言ってみろ」なんて言うことでしょう。ううむ、いざ、そういうシーンを想像するに、本当に振る舞いが難しい様に思うのです。
だから、きっと、あのかけがえのない瞬間に、時間の許される限り身と心を浸して、最後に「じゃあね」と言って、その頃の自分とバトンタッチをして、今に帰ってくることでしょう。きっと、最後の数分は号泣しちゃうんだろうな。するとまた「お前、どこか具合でも悪いのか?」なんて言われたりして。
それで、そのまま、その頃に残って、そこからやり直したいと思わないかって?それが、思わないんですよ。だって、そうした結果、万が一でも「今」に辿り着けなかったら悲劇じゃないですか。失敗だらけ、後悔だらけの人生の果てにある「今」だって、大切な自分だけの「今」ですからね。
そうそう、最近、愛猫が私にプレゼントをくれる様になったのです。自分のオモチャの中から、とっておき?のネズミの小さな縫いぐるみを咥えて、私がいる場所までもって来てくれるのです。幾つか部屋を横切って、階段を昇り降りして、ドアの隙間を通り抜けて。
何となく「大事なものをあげるから、遊んでね」と言っている様で、その健気さに胸を打たれます。この「今」以上の「今」なんてあるハズがないのです。何でも好きなオヤツ、買ってあげる。
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だんだんと朝の通勤電車も空いてきた様に思います。今週で制服姿の中高生もいなくなって、25日あたりからは「有給消化」に励む人たちも早々と戦線を離脱することでしょう。年末の出社最終日、何となく風情があっていいんですよね。在宅勤務の人には分からないでしょ。口惜しくて言ってみました。