作業部屋であれやこれやと作業をしているときに、BGV(Back Ground Video)として「環境ビデオ」を「ようつべ」でみています。最初の頃はあまりの映像の美しさに、BGVどころかずっと見入ってしまったものです。世界には美しいところが幾らでもあるものです。ところが最近ときたら、本当にBGVとなってしまっていて、時折息抜きに画面をちらりと眺める程度なのです。人間、何にしても、あっという間に慣れてしまうのですね。
現役のころに勤めていた会社のオフィスは東京湾に臨む場所にあって、高層階からは様々な東京の景色を一望にすることができました。このビルに入居したときには、「いつまででも見ていられるなぁ」などと思ったものですが、ほんの僅かな期間で窓の外を眺めることは、ほとんどなくなってしまいました。流石に退職する日にはしみじみと、と言っても3分程、窓の外をぼーっと眺めましたけどね。
退職して、ずーっと代り映えのしない、何も起きない「日常」を過ごしていると「非日常」を渇望するなんて話がありますが、私に関してはそうとも言えません。ありがたいことに「日常」が楽しくて、特に気分転換などを欲していないのかも知れません。また、「ようつべ」やBS放送、スマホなどにより撮影された無数のスクープ映像などが「日常」を侵食して、もはや「どんなものを見ても驚かない、知ってるよ」というマヒ状態になっているのかも知れません。
どんな調査を眺めても、退職後にやりたいことを尋ねると圧倒的多数の人が「旅行」と回答をします。確かに現役の頃はいろんな制約があって、なかなかに「行きたいところに、行きたいとき」には旅することはできません。けれど、「制約があるから自由がある」という世の習いのとおり、自由に旅行に行ける身になると少し旅行熱が冷めてしまう様にも思います。
それに、これだけ情報過多の時代になると、旅行って「事前に調べたことを現地で確認する」ものになり果ててしまいガチです。これ、カミさんに毎度、私が怒られることなのです。事前に綿密に予定を立てて、そのプランを実現するためにセコセコと動き回る。せっかくの「非日常」を楽しむために旅行に行くならば、「現地では行き当たりばったり」くらいの方がより多くの驚きに出会えそうです。反省です。
「非日常」には、「災害」などがもたらす有難くないものもあります。地震や気象災害、それに今後は「戦争」なんて非日常だって絶対にない!なんて言いきれない時代になってしまいました。それにそもそも、今私たちが生きているのは、コロナ禍という長い「非日常」ですよね。余りに長期間にわたってしまい、すっかり「日常」になりましたが。
それでは私には、心を新鮮に保ってくれる「非日常」はないのかと言えば、たまにカミさんと外食をして美味しいものを食べることがとても幸せな「非日常」です。グルメサイトをどんなに眺めても肝心な料理の「味」やお店の雰囲気は分かりませんからね。何回も通って、馴染になっても行く度に「美味しいなぁ」と驚かされる。夏休みにはそんな「非日常」に出会いに行くことにします。