ブログを書き始めてから約1年、少し読み返してみるといい年をして、随分と心変わりというか、考え方が変わってきたのが分かります。前に進んだのか、後退したのか。「三歩進んで二歩下がる」というところでしょうか。(実際は二歩進んで五歩ぐらい下がっている)
長年勤めた会社を辞めるときに決めたことの一つに「今後、誰かに紹介されたところでは働かない」というものがあり、これは今でも考えが変わらない数少ない「決意」の一つです。理由はご想像どおりに、①紹介してくれた人に頭が上がらなくなる ②妙な期待を背負いたくない
③辞めたいときに辞められない ④「あの人、XXさんの紹介で来たんだって」などと職場で言われたくない なんてところです。随分と青臭い、書生じみた考えです。
それに「誰かに紹介されたところ」に行くくらいなら、そもそも元の会社でじっと息を潜めて然るべき時期まで働いていても変わりはない様に思えたのです。だから、一度、リセットして、「好きなことをやりつつ、必要なだけ働く」と思い切って舵を切ったという訳です。
まぁ、実際はその後、「予想とは違っていたこと」だらけで、とても順風満帆に約20ヶ月を過ごしてきたとは言えません。当初から「何か叶えたい夢」とか、「こんな暮らしがしたい」と言った明確なビジョンがあって、そこに向かってまっしぐら!ということでもなかったので、取り敢えず「ぷらぷら」と浮かんでいたのです。とても自由(勝手)な身分で。
一意専心で夢中になって生きることも得難い経験ですし、私の様に波に揺られて「ぷらぷら」と浮かんでいるのも、それぞれの経験に優劣はないものと最近は開き直ることにしています。だって「ぷらぷら」しながら、随分と新しい景色を見たり、今まで出会うことのなかった種類の人たちに出会ったり、見知らぬ人たちのことも少しは慮ることができる様になったと思うのです。
ということは、どんな人にとっても、どこで何をしていても、それはすべて「得難い経験」ということです。ずっと散歩をしていても、一日の大半をネット閲覧していても、慣れない仕事に青息吐息で取り組んでいても、家族の介護に辛い思いをしていても、退屈に押し潰されそうになっていても…
要は「これが私の今なのだ」とそのままに受け入れることができれば、きっと、それぞれの「得難い経験」は「その先」につながっていくのではと思うのです。それがいずれ花咲いて、「やりがい」や「仕事/お金」に変わったりすることだってあるかも知れません。カッコいいことを言っていますが、要は「ダメな自分」の身勝手な自己肯定なんですけどね。
昨日、買い物からの帰り、電車の中から眩しいほどの落日の様子を見ていたら、そこに「すくっ」と一人佇む富士山のシルエットを見つけました。富士山は不二山、二つとない美しい姿でした。ありがたや。